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No.3356 最大の恩人の訃報

2020.12.16

 昨夜、遅めの時間にスマホが鳴った。名前を見て瞬時に胸が高鳴った。それは、先月下旬から体調を崩されて入院されていた地域の重鎮とも言うべき方のご子息からのものでした。
 95歳になられるその御仁は、平成15年、私が政治の世界に入る時、選挙のセの字も知らない素人集団の友人合議で後援会長はこの人しかいないと、即座に異論無く決定した方です。地域の祭り等でお付き合いは地域誕生当時からさせていただいた方ですが、後援会長となるとお引き受けいただけるだろうかと思いましたが、私でよろしいのでしたらと快くお引き受けいただいた。
 その後の多くは、3年前に先立たれた奥様共々支えていただいた温厚沈着冷静な方でした。読んで字のごとく後ろから援助するのが後援会だとして目立つ出番をやんわりと拒否し、多くは陰から支えていただいたのです。
 後援会の合議内容やスケジュールに異論を挟むことも無く、自己主張は皆無。合併問題で市会議員選挙に住民の関心が高まっていた時だったこともあり、枝久保を支える人たちはどういった人かというのも興味関心を引くところだった時期です。自宅のガレージを選挙事務所に構えましたが、それまでお付き合いの無い方が突然訪ねてこられ、後援会への入会を申し込まれていったのも一人や二人ではありません。Yさんが後援会長をなさっている候補者なら間違いないと思ってと言うのが理由でした。
 正に、人によって人の信頼評価が高まるという、自分にとってはこそばゆい話ですが、有り難くもあり嬉しくもありの状況となったのです。周囲から批判の声はただの一度も耳にしたことの無い方でしたからそれも当然だったと述懐できる話です。

 1989年だったかと思いますが、地域がニュータウンとして誕生した時の第一期入居者で、直後にシルバークラブを立ち上げて初代会長として長くご尽力されました。先月、入院されるまでお元気にパソコンクラブ、ビデオを鑑賞する会、茶話会などを先頭に立って切り盛りされてもいたのです。全体的に温厚さは感じても屈強には見えない方でしたが、実は精神的には強い芯をお持ちの方だったと思います。
 地域の記録を映像に残すことにも力を注がれ、それらの記録のいくつかは私に受け取ってもらいたいとおっしゃってくださいました。地区でソフトボールとテニスくらいしかお付き合いの無かった私ですが、政治家以前の段階から若干ながら地域発展の為に力を注いできたという一面を理解してくれていたものと思います。私の活動にも常に関心をお持ちで、最も新しいところでは、消防署問題でした。西分署が救急ステーションとして存続することになった際、私のブログだか市政報告をご覧になって電話をくれたのです。曰く「救急車が残るだけでも地域にとっては願ってもないことです。ありがとうございました」と。
 生涯忘れてはならない方。残念無念の極み・・・そんな恩人の死です。
 慎んで哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。
 なお、葬儀はプリエ幸手で執り行われます。

 <通 夜>19日午後6時  
 <告別式>20日午前9時