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No.2348 政治破壊トリオ

2013.07.15

 選挙戦もいよいよ佳境に入り、当確予想や支援団体などの報道が賑やかになってきた。暑い、暑いの言葉が飛び交い、汗がほとばしる季節の選挙戦は、特例措置をもって期日変更ができないのかと思う。とくに参議院は選挙区でさえ活動範囲が広いのに加え、全国比例区という選挙制度があるので、それ相応の期間を確かに要する。猛暑で演説する候補者も大変だが、うちわ型ビラのような季節特有の印刷物などコストもかなりのものになるはず。だからこそ制度変更ができないものかと。
 極寒と酷暑の季節は選挙対象からはずしてもらいたいとつくづく思う。投票率にも良い影響があるとは思えない。

 さて、このタイトルは国民が喜ぶものはなんでもといった感じのマニフェストで、要するに結局は国民を騙して、自民党自滅の間隙をぬって政権を獲得した当時の民主党を率いた小沢、鳩山、菅のお三方が、今選挙でどういった状況にあるか、あらためて考えてみたいと。
 
 まずは「瞬間湯沸し器」の菅さん、自民党厚労相時代にO157事件でカイワレ大根を生食してみせた当時が絶頂期。清涼感さえ感じた政治家でしたが、実際付き合ってみなけれれば人はわからないもの。あの笑顔の持ち主が有事対応となると独断先行の癇癪持ちだったとは。
 本人にしてみれば民主党を作り、小沢さんとの代表選に勝って首相になった時点が絶頂期と言いたいかもしれないが、それは凋落の始まりだったと考えるほうが適切か。
 お三方に共通することだが、最近は、国民がうなづくような綺麗事ばかりを口にする癖がしみついたようで、菅さんは、今原発根絶を訴えている。首相時代にASEAN諸国への原発輸出を宣言していたご本人なのだが、他国なら原発は良しとする精神はいかがなものだろうか? その前に原発は本当にすべてを無くしていいのだろうか。やっぱりこの政治家は根本的に左系なのか・・。
 癇癪持ちの菅さん、別の意味で記憶に残る方ですが、今の選挙では東京選挙区で党公認からはずれた候補者の応援に熱くなっているとか。普通なら除名対象でしょうが、首相経験者からかどうか、もしくは党勢が弱体しているからかどうか、なんのお咎めもなしのようです。首相を経験すると党是にも逆行できる自信が芽生えるということなのでしょうか。

「宇宙人」鳩山さん、自民党にあってはピュアな若きプリンスと感じさせた時もありましたが、結局は世間知らずのおぼっちゃま政治家が露見し、誰がこの人を首相にしたのか!と民主党を支持した国民までもが叱責の対象になるほど。資金力がリーダーの器として問われる政治の世界で、たかがお小遣いが月1,500万円という人であれば、そこに多くの人間が集まるのは分かりすぎる話。つまり、人望ではなく金が鳩山グループを構築していたとも考えられ、似た者同士の小沢さんにも魅力的だったことでしょう。
 さらに、鳩山さんが親中派の左系的思考の持ち主だったことに、多くの方がマニフェスト以上に騙されたという感覚を持ったのではないだろうか。もはや彼の実態は宇宙人などとコミック的に論じるべき代物ではない。語る資格のない政界を引退した元首相が、領土防衛、外交に関わる身勝手自論を粗暴大国のお偉いさんにプレゼントするなど、国家反逆罪に問われてもおかしくない。これが中国だったら即死刑になるような話だ。
 もっとも、野中、古賀といった御仁も押して知るべしだが、鳩山さんの発言がなぜか注目度が高いのは不思議だ。
 最近、この方は得意のツィッターで「何かやるぞー」と吠えているという。こういうのをいちいち確かめたくもないが、困ったおぼっちゃまである。

 「壊し屋」小沢さん、まだ政権再奪取への意欲は衰えていないようだが、事実は、「もはや死に体状況」という評判のほうが勝る。
 この人が動くと犠牲者が出るのが最近の選挙戦。最近では衆議院選での滋賀県知事。知事同士のよしみを使い、部下同然の岩手県知事から嘉田知事にコンタクトさせることにより「日本未来の党」を立ち上げた。もちろん、嘉田さんを党首に祭り上げたのは小沢氏一流のやり方だ。しかし、選挙に敗れた1ヶ月後の年明けには小沢さんとの軋轢が発生、未来は「生活の党」にとって代わる。そこで、社民党を離脱して未来に合流していた阿部知子さんと一緒に嘉田さんは生活を離脱し、あらためて「日本未来の党」を再編する。ところが、県議会でも知事業専任、知事職全うの決議が示される事態となり、やむなく嘉田さんは党首を阿部さんに譲ることに。
 こうした国政にとってマイナス面の多い小政党にまで及ぶ政界再編は、その多くに小沢さんが関係している。

 今回、地元岩手でも小沢離れが激しいという。それはそうだろう、小沢さんの支援を受けて議員になり、復興大臣までやった平野さんが民主党を離党し無所属として戰っているものの、その戦術は小沢離れに躍起だという。
 生活の候補者には「俺はあまり応援に行けないぞ」と言っているらしいが、これはどう理解したらいいのだろうか。
 ここには民主党の候補者もいるし、地域の政治関係をごちゃごちゃにして、市民を2分、3分させてしまう結果になっている。こうした現実には、岩手県民が怒らなければならないと思うのだが、少ないながらも、まだまだおらが小沢先生精神は残っているのかもしれない。

 「世間は、僕が左よりの政治家になってしまったと言い始めているようだが、どうしてそう言われるのか自分でも不思議なんですよ」と最近の小沢さんの弁。
 僕には、そういうことを平然と言ってのける小沢さんが不思議です。小沢さんはまぎれもなく左系に変節しています。自分のとって来た行動が、長い年月の中でそうならざるを得なくしたんだと思います。

 いずれにしても、このお三方にはきっぱりと見切りを付けるべき時が来たと感じる。見切りをつけてもハトさんのように暴れる人もいるから始末に負えませんが。国のために静かにしてください!
 そして、今回の選挙でネジレを解消して、自公丸安倍船長に地球の大海原を安定して舵取りを任せるのがベストな選択だと思う次第です。
 戦争を出来る国にする自民党、とか暴走する自民党とか、何を言っているのかと思う。そうした意味合いの言葉は、今こそ中国に向けるべきではないのか!

 このテーマ、久しぶりだったもので長くなってしまいました。申し訳ありません。

No.2344 期日前投票

2013.07.09

 前号の反応を早くもいただいています。ありがとうございます。

 わかりやすいという御意見が多いようですが、国を引っ張る政党の代表、もしくは大物議員がどのような論理展開で候補者の応援演説に臨んでいるかは、私がもっとも興味を持っているところなのです。
 当選という大命題にプラス党是というものがある限り、候補者は好き勝手なことは言えるわけもなく、党の方針に沿った話と自らの議員活動の特徴や他候補と異なる利点を訴えるのが常で、国そのものをどうしたいかという大きな話は、応援に来ている大物政治家の持ち場と言えます。政党政治は、どれほど頭のきれる人物でも、結局は党の一員としての活動にのみ込まれていくわけです。どの党にあっても、この点は同じです。
 私は、自民党という政党しか日本をリードしていくことができる政党はないという思いで、これが変わることはないし、この主義信条がぶれることはないので、政党を渡り歩く政治家はどうも好きになれません。上部は権力闘争のなれの果て、下部はただひたすら当選願望・・・・その結果として所属が変わる。これが政治家の根底にあるのだと思っています。選挙区割りなどの関係でやむを得ない一面はあっても・・・です。

 さて、こうした場やテレビ討論などを聴いて、有権者は選択先を考えるのでしょうが、おおむね事前に決めている方も多いと思います。
 そんな方々のために用意されているのが「期日前投票」です。まだ、投票日まで10日以上ありますが、なにも最終の21日に行かなければならないものでないと考えたならば、期日前投票は多くの国民に有効な制度だと思います。行こうと思っていても、突然行けなくなるということも考えられます。

 どうぞ、貴重な1票を無駄にすることのないようにしてください!

No.2339 貧乏度について

2013.06.27

 前号でご紹介した週刊ダイアモンドの特集による幸手市の貧乏度全国第二位は2040年の予測値です。その表記をうっかり忘れてしまいましたので、驚かれた読者もいたかと思いますが、たとえ27年後のことであっても、その原因、要素は今からの流れにあるはずです。
 それは幸手市だけの特有なものもあるでしょうし、また地方都市に顕在化する解決困難な問題もあるかもしれません。
 いずれにしても、この予想通りにならないためには、今からしっかり対応していかなければ手遅れになる可能性が高いし、深い考察と対策が必要だと思います 
 だいたい、たとえば区画整理とか再開発事業のような大きな街づくりには、15年、20年という途方もない年月がかかります。まさにこれこそが次世代のための郷土愛が為せるものですから、「今の人たち」がしっかり対応していかなければいけません。
 そして、それらを実行するにあたって忘れてはならないのが、財政の健全化です。無理、無駄、無良を徹底排除する。これが基本ではないでしょうか。

No.2337 惜別・・・遠くにありて思ふ友

2013.06.15

 30年来、互いに言葉を必要とすることのないほど理解し合っていた「友」が昨夜、生まれ故郷に戻って行った。薩摩へ。鹿児島というよりは、この地名のほうが、彼には似合うと勝手に思っている。

 互いが32歳の時に、同僚という関係から始まった付き合いだったが、まさに親友! 生涯の友という表現しか思いつかない相手だった。酒を呑み、興に乗った時には饒舌になることもあったが、どちらかといえば、寡黙な友だった。一緒にいると心のなごむ、なごませてくれる友だった。
 ある事象や物事に独特のこだわりを見せ、信念意思は人一倍強いものを感じさせたが、自己理論に固執することなく、しっかり相手の言に耳を傾ける心優しい、寛容な友だった。自らの好みを人に強制することもなかった。たまに出す小さな我儘がとても可愛く感じる男だった。
 よく呑んだ。それこそ若さが有り余っていた時代は、週に4日は呑み歩いていた。我々2人を中心に多くの友が集った。彼は、常に私に一目置いてくれたが、人の見る目は、私が彼をたよっている付き合いだったかもしれない。

 新聞によく目を通すタイプで、社会や政治を正面から見据える一面が若い時からあった。根本的にまったくタイプの違う同士だったが、この点はよく似ていた。私が先に退職し、今の立場になってからも、ポツリと語る彼の一言にどれほど支えられたことか。
 県内ふじみ野に居を構えていたことから、時折大宮近辺で合流し、互いに好きなサウナに入り、一献傾けるという日をどちらかともなく誘いあった。そろそろ会いたいなと感じるサイクルが一緒だった気がする。あまり肴をつままない常に痩せていた友が心配だったが、大病もせず丈夫な点も一緒だった。
 私が県議になってから、会う機会がめっきり減り、忙しいことを案じて電話やメールを遠慮している彼の気持が深く理解できる日が続いた。

 
 ひとつのケジメが来たことをこれほど強烈に感じることはない彼のUターン。
 昨夜故郷に着いた頃に携帯メールしたが、兄貴宅にひとまず落ち着いたとのことだった。そばにいつもいる安心感が寂寥感に変わった日。
 遠くにありて思ふ友。ずっと元気でいて欲しい。
 呑み過ぎるなよ! もう一回下手なゴルフに付き合いたかった・・・。
 涙が止まらなくなってきた。このへんで・・・。

No.2335 リタイア・モンスター

2013.06.10

 この言葉、私の友人が発したものですが、その意味を問うとなかなか言い得て妙な造語だと感心した次第です。世にモンスターの名がつく例は少なくありません。モンスター・ペアレンツなどはその代表的なものだと思いますが、新造語の域を脱した今は、さほどの新鮮さは感じられなくなりました。おそらく社会的に認知された例だろうと考えられます。

 リタイア・モンスター・・・・長いサラリーマン生活を勤め上げたものの、まだまだ元気な人はたくさんいます。再雇用や別世界に身を置く例も少なくはありませんが、一定の年齢でフリーの状態になった方が、世のため人のためと考えた結果、地域の自治会活動でそれまでは奥様に任せていたものを、自らが役員として参加するようになる例も多いようです。また、各種クラブやボランティア活動などに汗を流すパターンもあるでしょう。
 友人が曰く、社会的にもある程度の地位にあった方たちが、集会の協議話し合いの場で、回を重ねるほどに発言の度合いを増し、徐々に積極的な発言をするようになる例が多いというのです。ところが、それはご本人は建設的な意見や発想の転換を訴えているつもりでも、実は必ずしもそうではなくて、かえって混乱に拍車をかけているというのです。
 確かに、そういうことは十分考えられる話です。本人に悪気があるかないかは問題ではなく、自己発言に酔ってしまい、他者の意見に耳を貸せなくなってしまうタイプはどこにもおります。それが、歳が歳だから丸くなっているかというと、けっこう協調性に欠けるきらいのある人が少なくない。

 
 ということで、このリタイア・モンスターなる言葉が定着するかどうかはわかりませんが、そのレッテルが貼られないように気配りのススメを実践し、絆を深め、団結力を高める存在を皆がめざせばいいと思うのですが・・・・
 簡単そうで簡単ではない? そうかもしれませんね。

No.2332 潘基文国連事務総長

2013.06.04

 近頃来日した国連事務総長が橋下発言を批判。この批判という意味合いの評価はこの立場の人の言葉として考えると賛否分かれるところかと思う。しかし、日本の政治家の靖国神社参拝までをも批判の対象にしたとなると事情は別だ。その内容が「周辺国に否定的な反応を引き起こしている。日本の政治指導者はことのことを自覚すべきだ」
 自国のために戦った英霊を称える施設は、戦争を経験した国であればどこにでもあると思う。靖国参拝はただただそこに大きな意義があるのであって、他の理由を持ち出してその行為を批判するのはまったく遺憾な話ではないかと思う。総長の言う周辺国とはほぼ限定できるわけだが、それらの国々の指導者たちこそ、この数十年日本からどれだけの支援を受けているかの自覚が不足しているのではないだろうか。
 日本はいつまでこの呪縛から解かれるのだろうか。これは大方の認識するところだが、東南アジアいわゆるASEAN諸国は日本に感謝の念を抱いている国がほとんどである。

 日本では言論の自由が行き届いているので、マスコミにも反日的報道を主流にする部分が少なくない。それに影響を受ける国民も少なくないだろう。逆に、中国などは自国を批判するものはマスコミであれなんであれ容赦なくカットする。時には反逆家として逮捕することさえあるではないか。著しく民主化を無視した国家体制を維持し続けている国だ。
 ひどいことには、今でも日本の兵隊が人民を拷問にかけている絵図などが教科書の記載にあるといい、これらは増幅しているとも聞く。日本では教科書ですら誇張、捏造の内容を記載するものもあるのだから、まさに自虐的な状態と言える。

 また、在各国の中国人や韓国人系の政治家や財界人は、日本バッシングが目的であるかのように、従軍慰安婦問題をはじめとして、大戦における日本の贖罪を喧伝するロビー活動に励んでいる。日本人は、まずこうしたことはしない民族だ。いや、できない人柄と言えるのかもしれない。
 ところが、黄色人種国の民族性の違いを理解できない欧米諸国は、こうしたロビー活動にマインドコントロールされ、時を経るうちに、いつしか日本のイメージが歪んだ形でインプットされることになる。現実に今そうなっている。
 こうしたことについて事務総長はどう思うのか。ぜひ聞いてみたい。

 
 私たち日本民族の気質特性というか日本人気質について、世界に伍していくには、何が今必要なのかをあらためて考える時期に来ていると思う。
 国連事務総長の発言は重いが、素直に受け止められないことも事実だ。それが中国や韓国が事あるごとに使う内政干渉ともいえるからか、それとも彼が韓国人であるがゆえかは断定できないが、私は国連事務総長が言うべき内容ではないと思っている。

 

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