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No.2936 やはり不条理でしょ!

2017.11.01

 前号の長ブログにお付き合いくださりありがとうございました。後半部の2大政党制に関する部分に賛意をお示し下さる方がいてほっとしております。このあたりはまだまだ議論を深める必要性を感じますがブログで一方的に語るだけでは足りない面がありすぎですね。気を長くして取り組んでいきたいと思います。 

 タイトルの不条理についてですが、実は2001年から独居生活となっていた義父に、県内とはいえ深谷の在でしたので何かの折にと私の名義で携帯電話をかれこれ10年ほど前から預け、自由に使ってもらっていました。90を過ぎた2年ほど前からはほとんど使用している様子もなく基本料金だけの状況でした。その義父が数日前に亡くなり、急なことだったのであれこれせわしない日々に追われている一昨日のこと、携帯の請求書に記載のある電話に連絡したところ、解約はショップでしか扱えないと言われたので、近くのショップに出向きました。そこで、解約には9,500円かかり、それがかからない解約月は来年の2月1日から3月末日までです、と言われたのです。解約月まで待てば基本料金だけにしても月々1,000円ちょっとを支払うことになります。それでも金額的には解約月まで待ったほうが安価ではあります。ただ、ここでの疑問は金額の差ではなく、使う人がいなくなった電話なのに基本料金だけにしても、支払う必要があるのか・・・・??? 店員さんに再確認しましたがあくまでも規則ということを建前に申し訳なさそうにしていました。規則とはその電話の名義が私だからということです。一瞬大いなる矛盾を感じた次第です。
 しかし、どうでしょうか。社会全般の制度システムを人の生き死にという場面に合わせる思考が必要ではないでしょうか。さもないと今回以上に不条理なことがあるような気がしてならないのです。

No.2922 香香と珊珊

2017.09.25

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 BS番組ワイルドライフをこよなく愛する小生。今年の5月15日のこと、かれこれ10数年訪れていなかった上野動物園に家内とブラタモリ風に出かけた。チューリッヒやシンガポールといった世界的に著名な動物園と異なり、広さも展示アイデアでも少々劣る感は否めないが、大都市の中心部にある動物園として多くの人を魅了する名所であることは間違いない。とくに公園内の表門を入るとすぐにパンダ舎があるのが個人的には気に入っている。まずパンダのご愛嬌に触れてからゴリラや象、猛獣たちに会いながら歩いて西園に行く。そこでカバやオカピに対面してからモノレールで東園に戻り、再びパンダに挨拶して帰路に着くというスタイルはおそらく多くの来園者たちが選ぶコースではないだろうか。パンダはもちろんだが三大珍獣のひとつに数えられているオカピも心惹かれるものがある。

 さて、私たちに向かってどっかり座った姿勢で竹をほうばっていたシンシンだったが、その数日後妊娠の兆候が報道された。なぜか感慨深いものがあったが小ちゃなメスのパンダが6月12日に生まれた。そして今日、37万通の応募の中から選ばれた名がシャンシャンだった。
 「香香」とネットの文字が真っ先に目に入った。何と読むのやらと文字の先を追ったらシャンシャンだった。家内はかなり前から中国風の読み方から脱皮してもいいんじゃないかと言っていた。で、私がパンダは哺乳類だから脱皮はしないよとか、わけのわからない会話をしていたものだ。たしかにクルミとかアンズとかスミレといった感覚も悪くはないとは思うが、やはり中国風のシャンシャンとなった。応募はこういった名が主流なんだろう。
 可愛いいじゃないか!・・・と思った瞬間どこかで聞いたことのあるような。そうだ!今、世界の女子ゴルフ界でレジェンドになりつつある選手にフォン・シャンシャンという中国人選手がいるではないか。全米女子プロ他アメリカで9勝、日本でも7勝しており、リオ五輪では銅メダルを獲得しているスーパースターだ。ただ、名前の表記ではいつもカタカナなのでいわゆる漢字名がわからなかったが調べてみたら、フォンはサンズイではなくニスイに馬と書き、シャンシャンは珊珊と書く。珊は珊瑚の意味から女性らしい文字と見受けられるが、同じシャンシャンなのにこうして字が違う場合があるようだ。
 身長170、体重85㌔の堂々たる体格でフェアウエイを歩く姿はまさに人気者のジャイアントパンダ・・・いやいや貫禄充分のシャンシャン選手。日本の選手も負けてられないぞ!と言いたくなるほどの強さを誇るが、少しイメージが変わったような変わらないような。いえいえ、香香ではなく珊珊の話です。

No.2921 メディアの異常さ極まる

2017.09.21

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 報道ステーションの安倍批判印象報道が熱い。この場合の熱いとは酷いという意味合いを多く含む。テレビ朝日は朝日系だからやむを得ない。TBSも驚くほど編集捏造に余念がない。昨日は、解散報道で都知事派の内容を画面とともに伝えていた時、安倍総理の共産系のやじ集団が集まった都議選秋葉原での「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と演説した場面を都知事のクローズアップに合わせて流した。これには驚いたが考えてみればこれらのメディアでは日常茶飯事の印象操作なのだ。サンデーモーニングなどは最たるもので、サブリミナル的効果が出るような編集報道に徹している。関口宏、岸井成格をはじめとする出演者たちの論理展開の奥底には安倍倒閣煽動があちこち微妙に張り巡らされている。

 写真をご覧いただきたい。けっして皮肉ではなく日本がいかに思想も言論も自由というかフリーな国であるかを示している。この常に悪意煽動的媒体は、この見出しによって販売部数を確保していると言えるだろう。私も勤め人時代、その見出しにそそられて買うことがあったが、けっしてその内容に魅入られることはなかった。東京スポーツ、夕刊フジ、そしてこの媒体が帰路に向かうサラリーマンが日常的に購入する三大紙と言えるもので、それぞれに中心記事に特徴があるが、このゲンダイは疲れて家路に向かう彼らのストレス解消に体制批判もしくは芸能スキャンダルを効果的に1面でそそる。内容は調査のレベルも浅く軽いのが常で、見出しを納得させるだけの真実性に欠ける。がなにより購入動機に見出しが大きな要素を占めているのは間違いない。フジ派、ゲンダイ派を徹底する読者もいて、私はフジ派だったが、たまにゲンダイにも手が伸びた。それは、行き過ぎた政治・政権批判が見出しに踊った時だった。ファイル 827-1.jpg
 そもそも、これだけの内容を自らが書きながら、事あらば言論弾圧を政権批判に持ち出す媒体であるから記事の内容に信憑性を感じるはずがない・・・と思うのだが、染まってしまう人間もいるのも事実だ。毎日読んでいればそうなる可能性もあるだろう。中国や韓国ではないが、嘘や身勝手も100回言えば恥ずかしくもないだろうし、100回聞けばそうなのかーと感じてくる人もいるだろう。
 この日のゲンダイに見られるフレーズは
「ここまで狂ったか、と国民唖然」国民という言葉を多用するのだがどこぞにデータ的確信があるはずもない。ヒトラーさながらの手口で民主主義を愚弄する悪辣選挙安倍自民党を勝たせたら日本はオシマイ  錯乱の冒頭解散、大参敗の兆し、北朝鮮危機とやらの政治利用・・・・・ヒトラーの名を安倍総理に被せるのも常套手段だ。ヒトラーに結びつければ有権者の安倍嫌悪感が高まると思っている。まったくおどろおどろ感が出るが、この見出しを考えつくデスクとはいったいどんな人物なのか。とは言え、そう考えるだけの話でそれ以上の興味はない。ただ、日本はオシマイというのであれば、そうさせないためにはどんな政治体制が必要だというのだろうか。いつも思うのだが、好き勝手書く媒体に限って代替案まで示せばいいのだが、批判するだけで止まる。
 私の古くから懇意にしている知人にもいるが、根本的思想に反体制精神の流れを持つ人はけっこういる。そうした人たちが今押し並べて言うことは、自民党はどうも好かん、さりとて任せたい政党はないというパターンが圧倒的だ。また、そうした人に限ってマスコミの風に乗りやすいように感じる。

 今の北朝鮮有事の可能性はその後に待ち受ける有事の前座と考えるべきだ。中国ひいてはロシアは日米の北朝鮮対応をしたたかに見つめているのだ。これほどの国家の難局に政権批判ばかりに熱を上げるメディアは、それこそ狂っていると言えるだろう。

No.2910 タイムスリップした人種差別

2017.08.17

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 アメリカで白人至上主義運動が熱を上げている。人種差別を基本にするあらゆる差別行為を無くす思考が世界の流れになっている状況で何を今更の感がしてならない。
 私がアメリカの人種差別にいたく問題を感じたのは中学生になってまもなくのことである。当時のアメリカ社会には黒人より白人を優先する各種のルールが存在していた。それは日本にいて耳に入るだけでも驚くほど異常な白人優先の規律が生活の中に持ち込まれていたことを思うと、実際はよりひどい差別社会であっただろうと理解している。
 そうした事実が小さく日本でも報道され始めた頃のこと、アメリカでマーチン・ルーサー・キング牧師をリーダーとして映画俳優や歌手などの著名人が参加した大規模な人種差別撤廃運動が起こり、ワシントン大行進が行われたというニュースに接した。「I Have a Dream」の名演説が一躍世界にキング牧師の名を轟かせたアメリカの歴史に輝く20万人デモだった。
 当時、とくに南部の州では警官がたむろしている黒人に向けて警察犬を襲わせたり、引きずり回したり殴る蹴るの暴力をするといった差別行為が日常的に行われていた。大行進を伝えるテレビは、その画面と一緒に差別排他主義組織として知られたKKKの実態を伝える映像も流したのだが、それを見て中学生ながらに「なんだこれ!」という一種異様な感覚に襲われた。長い白装束に白い三角頭巾姿の人たちが燃える火を囲んで祈祷のような行為をしている異様な光景だった・・・ように記憶している。すべてが記憶にないが鳥肌が立つような身の毛もよだつ感じがしたことは忘れない。テレビは形式的な生贄の儀式を行う集団ということを言っていたように思う。とにかく、おどろおどろしい組織という思いが残っている。それから中学生なりにKKKの名前が脳裏に刻まれ、そのなんたるかに興味を持ち、なんとなくそれが今に継続しているのである。
 KKKは日本の明治維新以前に出来たとされるが、1863年にリンカーンが奴隷解放宣言をしていることから、これをきっかけに設立されたと考えるのが妥当かもしれない。
 ところで、キング牧師はワシントン大行進の翌年にノーベル平和賞を受賞している。35歳の若さであったが、受賞の数ヶ月前に公民権法が制定され、その大統領署名の場に多くの白人に伍して同席している。ちなみに大行進は1963年、ノーベル賞受賞は翌1964年、つまり東京オリンピクと同年のことだった。かなり前のことになるが、マルコムXという評判になった映画があった。マルコムはキング牧師と比較される運動家だったが、キング牧師はガンジーを師と仰ぐ非暴力運動家であり、マルコムは暴力を抵抗手段とすることをいとわない過激派運動家として対比されていた。マルコムは1965年、キング牧師は1968年に暗殺されてしまうが、ともに39歳という若さでこの世を去ることになった。

 
 時代錯誤も甚だしいと感じる白人至上主義だが、これは間違いなくトランプ大統領の誕生が起因となり、差別主義思想の気運と感情を煽っていると考えられる。大統領主席戦略官のスティーブ・バノンはあきらかにその代表的人物ではないかと思うのだが、あって欲しくない時代錯誤によってまるでタイムスリップしたかのようにアメリカの歴史的恥部を改めて考察することになったのははたして良かったのか悪かったのか・・・。
 実像か虚像であったかは別にしてアメリカが世界の警察であった時代から、国内では人種差別に拘わる悲惨な事件が後を絶たなかった。トランプが掲げるアメリカファーストは真の差別を撤廃してこそ成り立つものだという思いを世界が共有していることをトランプは理解するべきである。死者まで出る現状はアメリカファーストならぬホワイトファーストに過ぎない。そうであれば、国際外交の上でもアングロサクソン優位という思考を前提にしていると指摘されても返す言葉はないはずである。

No.2907 内部告発と内部批判

2017.08.02

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 冒頭に際しまずもってお詫びしておきます。「いつも長い文章で申し訳ありません。よろしくお付き合いのほどお願い申し上げます」

 清水一行著による「内部告発」という小説がある。総合商社の取締役数十人が子会社上場のインサイダー利益を貪り、個人資産を膨らませたという組織的犯罪を中間管理職が告発したことから物語が展開する。この告発者は現役の管理職という設定である。しかし、こうした例は実際は少ないのが一般的ではなかろうか。
 つまり、現実社会では食品会社が国産と偽って外国産の原材料を使用していたとか、消費期限が過ぎているものを改ざんして再販流通させたなどといった話は枚挙に暇がない。こうした企業犯罪が表面化する原因の第一位に挙げられるのは社員による告発ではないだろうか。そして、この場合の社員とはしたくもない退職をさせられた社員の場合が多いと推測する。

 文科省の例は前川喜平氏が再就職斡旋問題で退任した後の告発であった。
 国の大事を審議する通常国会で、厳しい外交問題や経済問題の議論を差し置いて、激しい安倍政権追求の場と化した原因は「告発」であった。
 忖度で行政が歪められたと前川氏はいうが、40年近い官僚職時代でそれまで忖度とおぼしきものは一切なかったのだろうか・・・信じられない。
 獣医師会の強い要請で半世紀も新学部が設けられず、申請があっても門前払いという事態であった。これも信じられない話だ。そもそも忖度は犯罪ではない。奢った奢られたの話も友人であれば当然と考えるのが一般的だが、安倍憎しと化したマスコミは逆の思考になる。国民は許さないとか知りたがっているとか・・・いつから反日マスコミの新聞記者は国民の代表になったのか。
 岩盤規制を打ち砕くために国家戦略特区扱いにし、ワーキンググループという識者による諮問会議に委ねる安倍政権の2段階構想に対して、そもそも事務官僚トップの前川氏は冷めた感覚を持ったのではないだろうか。であればチキンハートと言わざるを得ない。
 そして、またもや反対の姿勢を鮮明にした獣医師会がしたこと・・・当時の石破地方創生大臣に規制継続に近い陳情をし、石破氏は4条件を設けることで応じた。この陳情はとりもなおさず獣医師および獣医学部を持つ大学の存亡問題につながるという意識を原点にするものである。とくに後者は強い想いだったであろう。同会は知る人ぞ知る日本医師会と並ぶ強力な政治連盟である。民主党が政権奪取した2009年の選挙の時、茨城県医師会は自民党に反旗を翻し民主党支援に回った。当時、自民党の政策に憤怒するものがあったと記憶している。しかし、民主党による失われた3年に期待はもろくも崩れ、今また自民党支援団体の代表的存在になっているようだ。あくまでも茨城県医師会の話である。

 さて、この国会の現状にあって、マスコミにゲストで招かれ政権に対して後ろから鉄砲を打つかのごとく安倍批判を続け、民進党の議員と会合を持ったりしているのが、誰あろう石破氏である。安倍総理が2校でも3校でも獣医学部を全国展開したいと発言したのは獣医師会と石破氏の癒着に対するチャレンジ的牽制の意味があったと私は感じている。時の首相を批判し、政権交代ともなると小沢氏と新進党結党に走るといった政変経歴を持つ石破さんである。内部批判がいかに人間的信頼を失うかがわからないのだろうか。総理になりたい思いはわかるが、党をまとめトップを支えてなんぼではないだろうか。前回は志を共有した同じ穴のムジナが野党に揃っていたことから党を飛び出したが・・・それにしてもよくよく懲りない方である。

 文科省事務次官であった前川喜平氏の内部告発や陸自によるリークが国会で論争の火種となり、まるで現時点で日本国の最大の問題であるかのような騒動に発展した理由は前号で述べた反日マスコミと野党の共闘にあることはほぼ間違いのないところか。
 陸自の日報隠蔽問題も大臣に言いた言わないレベルの話であり、都議選後に公文書と思しきものの複数が野党によって示された。こうした場合、文書の出所は不明、渡り先は野党だ。民進党や共産党はこれまでもよく公文書らしきものを証拠書類として国会に持ち込んでいる。文科省問題も民進党が提示した8枚の文書が引き金になっている。これはどう理解すればよいのだろうか。
 日報問題は結果的に防衛大臣と陸幕長の退任劇にまで発展した。この点、適材適所の配置を誤った安倍総理への指摘や、有する才能はあっても防衛相の器に結びつかなかった稲田議員自身も責められてしかるべきものはある。稲田氏は国守を思うあまりに都議選で「自衛隊としても自民党を」と演説してしまったのは致命傷だった。自衛隊員だからといって皆が保守本流とは限らない。確信はないがおそらく政治思想の観点からは野党よりの隊員もいるであろう。自衛隊員は約23万人いるのだから思想一派であるはずがない。想いはわかるが、あまりにも無用心かつ稚拙な発言であった。

 我が街でもかなり前になるが、告発を期待する声が巷に多く聞こえた時期があった。詳細は今更ということにするが、この場合の告発は正義を求める声だったと確信していた。でもその確信にはとうとう行き着かなかった。考えてみれば告発を期待するというのも情けないと同時に次元の低い話ではある。
 退職者による告発は、企業コンプライアンスの欠如を外に示すものではあるが、それは腹いせによる暴露といったイメージが強い。もしも真からおかしいと感じたならば、最初にわかった段階で告発するほうが人の道と言える。ところが、この手の事件の報道では「かなり以前から行われていたものと思われます」というフレーズがともなう。ならば、他の現役社員たちはその間ずっと口をつぐんでいたということになるのだろうか。辞めてから言うのでは消費者の味方とは言えない。いやはや深く切り込めばいろいろあるものだ。民間会社であれば死に至らない限りこれくらいですむ。
 しかし、政治の世界はそうはいかない。マスコミが思想的偏向報道で国民を煽動することを隠そうともしない社会になりつつある中、国民生活との関わりで個人の腹いせ感情が入り込む余地などない。告発内容と告発者の審理が手ぬるくあってはいけない。また、公文書の管理もデータ社会にすっかり染まった時代にあって、法整備を整えてほしいと強く思う。

No.2906 二つのそばが伸びる安倍倒閣反日報道

2017.08.01

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 今のマスコミと野党議員とかけて何と解く? 
 庶民の代表的食べ物であるそばが嫌いと解く。
 その心は・・・森と加計が食べきれずにただただ延ばすだけ!
 メガマスコミと野党による安倍倒閣報道のなんと凄まじいことであろうか。
二つのそば問題はやたら後味の悪い状況になっている。この大はしゃぎは一体全体国益に穴をあけることはないのだろうかと思えてならない。なにしろ国会がそれありきのオンリー状態なのは間違いない。そういう意味ではある種の政治空白とは言えないだろうか。なぜ、それほどまでに安倍倒閣を志向するのか?・・・確かなこととして、その理由は間違いなくあるのだろう。
 まず平成25年12月の国会を紛糾させた特定秘密保護法だ。当時マスコミはこぞって反対を訴えた。田原、大谷、岸井、鳥越といった反日局のワイド番組でキャスターとして著名な人たちが猛烈に反対の論陣を張った。良かれ悪しかれ個人の情報発信を業とする人々にとって歓迎すべきものでないのはわからないではない。もちろん、マスコミ以外の識者と目される方々の間でも賛否両論が真っ二つに割れる一大騒動になった。
 つぎに、平成27年9月の集団的自衛権の行使を含む平和安全法制整備法である。第9条に関連して長谷川、藤田といった憲法学者に牙をむかれるという想定外の大論戦になったが、これも結果的に自公、維新、こころといった議員の賛成で可決した。
 特定秘密保護法においても、また平和安全法制においても委員会採決の際、民進党と自由党の議員が委員席に突撃ダイブした光景は今でも目に焼き付いている。そして今国会のテロ等共謀罪関連法でももりかけ問題ばかりに焦点が絞られ、まともな審議から野党自体が避けていたように思う。
 かくして、国会はまともな議論の場から遠ざかるスキャンダル探し国会と化し、国民生活も国家の安心安全も忘れてしまったかのように政権批判が羅列する国会といった様相を施している。マスコミの囃し立てに乗る一部国民にも問題はあるが、マスコミの責任はかように重い。
 本年初頭からは同じ学園ではあるもののまったく問題の本質が異なる森友学園、加計学園という2問題で本質をはずした議論に終始している由々しき事態である。
 政府はその間においても昨年4月の熊本大地震、そして今回の北九州大災害といった緊急事態への対応や、従軍慰安婦合意や沖縄問題、米英首脳交代後の対応など内外の諸問題に対応している。ところが、そうした状況下での5月3日のことである。安倍総理は「2020年を新しい憲法が施行される年にしたいと思っている」と表明した。私自身は正直なところ新鮮な感覚を覚えたが、衆議院憲法審査会で協議しているのに勝手な発言をしたとか、読売新聞を読んでほしいと答弁したことなどが反日マスコミ群によってさんざん叩かれた。実際、憲法審査会は総理のリーダーシップに添って審議していたかどうかは不明だ。それにシビレを切らしたかのように憲法記念日という節目に日本の総理大臣として目指す最大の目的について表明したとも理解できる。改正に消極的な群像を意識しての安倍発言だったのかもしれないが、少々強気に過ぎたと言える。結局これが安倍倒閣の反日マスコミの偏向報道団結力を高めることになったと考えると、その後の3ヶ月の反日動向のすべてが理解出来る感じではないだろうか。その報道はレベルとか質とかいうものなど論外の言葉刈り、揚げ足取りのオンパレードとなっている。そして、国民に安倍政権の問題点をデフォルメ報道し、支持率低下に向けてタクトを振る指揮者のように。
 たしかに、なぜ安倍総理は読売新聞に大々的に憲法改正への意思を示したのだろうか。朝日や毎日が掲載を受けるわけはないのだが、自民党としてテレビの枠を使って国民に向けたメッセージを表明したほうが良かったとも感じるのだが、いずれにしても反日マスコミが一斉に改正阻止に向けるための戦略を企てたことは容易に想像出来る。それは野党も共闘路線にあるような現状ではないだろうか。改正阻止には安倍倒閣しかないという理論に基づく印象操作戦略が本格的に始まったのだ。
 特定秘密保護法、平和安全法制でさえ苦々しく成り行きを見つめるしかなかったマスコミが、憲法改正までさせてなるものか!とばかりにいきり立った。そこには連立を組む公明党がいま一つ乗り切らない上に、安倍案に難色を示す状況があることも護憲の主たちの尻を叩く結果となったやもしれぬ。
かくして、安倍政権のイメージダウンにつながるものなら何でも来たれの状態と化している実情ではないか。印象操作とはとても微妙なもので、言い方、書き方次第で説得力が増したりするものだ。それはペンの暴力と言われる状況につながっているようで攻める側と受ける側の違いはかえって恐怖社会を示唆するようで怖い。

 それにしても朝日、毎日、東京、遠くは沖縄2紙などの表現、言い回しはことごとく読む人に一方的な思考を植え付け、書く側と同じ批判思考に導く狙いがあるのは疑いようもない。キーテレビ局では、TBS、テレビ朝日、最近は籾井会長退任後のNHKもそれに近いものがある。安倍政権に聞こえの悪い部分の切り張り編集が多い。そう言えば、籾井会長時は定例会見の度に報道対象となり、言葉刈りの攻撃にあっていたが、会長が変わってからはまったく会長発言が話題になることはない。会長はさて誰だったかといった感じである。
 救われるのはSNSにおいてはそれを異常に感じ、理解している方が多いことである。今の国会でいいはずがないという常識的な判断が多く見られる。
 反日メディアは日本をどこに導きたいと思っているのだろうか。

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