私事で恐縮ですが、昨年3月に私自身の不手際もあって最初の術後に大出血し、5日後に再度全身麻酔手術と相成った鼻腔の経過観察で三ヵ月ぶりに越谷に出かけた。キレイで良好という診断だった。それにより、次回検査は半年後の8月となった。正反対の季節の予約を取る違和感以上に爽快な気分が勝った。
今回、診察室に入ると医師の他に二人の臨床研修医がおり、医師は彼らに私の症状の経緯を話している(ように感じる)ところだった。ように感じるというのは、それが英語だったのだ。研修医の一人はアセアン系の方だったが、多くはその彼と医師とのやりとりだった。鼻に入れたスコープの操作中でも私に話しかけつつ英語での会話が続く。質問する研修医の真剣度がはっきり伝わってくるが、医師は静かに言葉を発しながら診察の手は冷静に動き続けた。帰り際に看護師に聞いたら、海外出張の多さは群を抜いているという。
実は、私の手術は特殊かつ新しい施術だと聞いた。その術も彼の研究の成果に関わっているというのだ。だからというわけでもないだろうが、その医師は、同科ではカリスマ的存在と別の医師や看護師から聞いた。私との会話でもそれらしい雰囲気を感じさせる医師であまりお目にかかったことのないタイプだ。しかし、ユーモアもあるし、なんといっても40前半のラガーマンなのだ。
診察室に入ってにっこり挨拶をした途端、安心感に満たされる。これがカリスマと言うものなのだろうか。そのカリスマが4月から都内の大病院に移るという。この日の白衣はその病院名が刺繍されたものだったがインパクトありありだ。さすがという以上に不思議なものだ。転院前の最後の挨拶の中で「私の変わりは〇〇先生にお願いしてあります。彼も立派な先生ですから」・・・と通告されて「はい、ありがとうございます」と応じる私。さして口数が多くもない医師の言葉だが絶大なオーラを感じさせる。いったい、このオーラはどこから・・・。
ともあれ、私は幸運な患者だったと思うし、彼こそはグローバル人間に違いない。医師との出会いもいろいろだ。
記事一覧
No.2968 オーラはどこから
No.2963 またもや住民監査請求
今日は午前中はうららかな感じさえした好天気だったが、夕方からまた雪でも舞うのかと感じるほど冷え込んだ。梅も咲き始め春近しは確かなところだろうが、体調管理には気が抜けないですね。
前号の幸手市の問題について今朝の各紙朝刊に住民監査請求について報道されていた。請求者は6名ということで、その代表は柳原さんという中5丁目の方だそうだ。私もまったく知らない方ではないが、昨年秋頃に幸手市長の海外旅行の多さは無責任の極みといった指摘で埋め尽くされたチラシが幸手創生会という団体から新聞折込された。その会の代表を名乗られている方である。
たしかこの会は平成27年秋の市長選で現職候補にチャレンジした候補者を支援した組織だったと記憶している。組織の実態は存じ上げないがなんとなくその概要の推測はつかないではない。あのチラシには各自感じることはいろいろお有りだったと思うが私も当時ブログの対象にしている。
それにしても、香日向小学校の校舎を月20万円で賃貸したことで住民監査請求を起こされたこともあり、また今回もということで市としてはほめられたことではない。小学校の場合は、市長の意思が働いているとの思いが住民にかなり広がっていたが、今回は担当部署と土地改良区との関係性が問われることでもあり、新聞にある通り有印文書偽造となると犯罪であるから事は単純ではない。
ただし、正当性のある住民監査請求であっても、これが受け入れられるかというとそうは簡単ではないと考えなければならない。そもそも住民監査請求はほぼ内容的には理解できるものが多いのだが、監査の結果は問題なしと報告されるパターンがほとんどである。したがって、うがった見方をすれば市政糾弾
目的とした複数市民の行為であり、その先にあるのは次期市長選ということになるやもしれぬ・・・という推測はあながち的外れではないと思う。
もっとも、住民監査請求は行政監視、議会監視、政治家監視といった観点から住民に与えられている権利であるから回数が多いからどうかということではない。ただ、街のイメージとしては落ち着かない街だなあと感じる面もあるかと思えるのだが・・・。
No.2959 今の時代、聖職などない!
昨年5月、児童ポルノ販売サイトからの摘発情報として、約7200人の購入者リストが押収されていたというニュースが元日の新聞で伝えられた。
そこには、検事、警察官、医師、県会議員、僧侶、自衛官、漫画家、大企業社員、都職員などの名前があり、200人が書類送検され、今後もその対象は増えるそうだ。DVDの映像には小学生に対する強制わいせつという犯罪もあり、売る側の問題とは別の観点から購入する側の下劣な品性やコンプライアンス意識が問われる事態となっている。
もとより、どの生き物にも異性への関心は等しくあり、人間も例外ではない。そうでなければ子孫繁栄は叶わないことになるわけだが、人には本能とは別の心が多くの場合男性に宿る傾向は間違いない。しかし、それがいたいけな子供に対してとなると、これはもう品性・品格どころの話ではない。そんなDVDを法の番人や知性豊かな社会のリーダーたる人が一人こっそりと鑑賞する姿を想像するだけで気持ちが悪くなる。もちろん人は誰しも異性への興味をある段階で抑制できる理性を持ち得ているし、それは人間だけが持つ特性と言える。ところが、社会的に地位が確立され聖職とも最高表現を受ける職業人の実態が悲しい状況にあるのだ。知性に理性が同居していないのは今更感じることではないが、そういう意味では世の中が確実に変化し、それは下方ベクトルに向かっているとは言えないだろうか。
聖職という言葉も文字も最近とんと見かけなくなった。年初報道には教師や弁護士という職業の記載はなかったが、その後、そういった社会人が男の子へのいたずらで検挙されている事件も複数発生している。いずれにしても聖職などというのはそもそも無いがごときで、前号でグローバル人間とはに触れたが、その資格・称号は共にそうそう簡単に与えられるものではない。
No.2958 グローバル人間とは?
降りましたねー! 毎度のことながら積雪10cmにもなると大騒動となる関東地区。予報の精度も高まって1週間近く前から今日の雪は予告されていたのだが・・・電車は平常通りに動かすことは出来ないのだろうか。車で出かける人がいかに多いことか。人間社会はつくづく自然に脆いと思うが、浅はかな人が少なく無いというのもつくづくわかる。
今朝の朝刊にある大企業の一面広告がカラーで掲載された。そのキャッチは次のようなものだった。
会社説明会で、どの企業も「グローバル」って言いますが、結局「グローバル」って何ですか?
そして、その下段に
「英語を話す」「海外で働く」だけでないのは確かです
と注釈がつき、さらに下に数行の小さな文字の企業アピールをグローバルにからめて示している。
最下段に、人を、想う力。街を、想う力。○○○○
この会社は特定の地区における大手不動産企業として知られるが、その伝統ある地区をさらに日本への進出を図る海外企業や、海外展開を目指す日本のベンチャーへの事業開発支援をし、さらにグローバルな活気にあふれたビジネスと文化交流の世界的拠点エリアに進化させる我こそがグローバル企業であると言いたいようなイメージ広告と見受ける。ゆえに開かれた心と発想力を持つグローバルな人材を求めるというのが副次的狙いとしてあるのだろう。
これを読んでふと常日頃から考えている疑問をあらためて考えさせられた。疑問とは正にこの広告にあるグローバルって何だ?ということであり、グローバル人間とはなんだ?なのである。英語を話せる人とか海外で活躍する人と理解している人が多いのではないかと思う。この広告ではそれだけではないのは確かと語るが、かといって、世界的ビジネス拠点がグローバルとも理解できないし、それを手がける企業がグローバルとも思えない。そういう意味では、すでに世界の大都市は皆グローバルエリアでありグローバル都市と定義付けることは出来る。グローバル=地球全体と言うのは辞書的理解でしかない。
英語が話せればグローバルなのか、いや、英語の話せる人でも昨今の品の無い日本語を語り、敬語や謙譲語といった正しい日本語を理解していない人は、日本という原点から考えて本質的にはグローバルとは言えない。
つまり、日本人として、まずは国内にあって他の見本足りうる高潔な品性と品格を備えずして世界に伍して活躍するグローバル人間とは言わないというのが私の理解である。日本人としての矜持やアイデンティティーを有した上で人や国あるいは動物なども対象にした「相手を思う心」を持たずにグローバルだなどとはとんでもないことであり、留学とか、海外出張だけでグローバル人間と思うのは大きな誤解である。また、語学に長けていればグローバルといった考え方があるようだが、それは錯覚か勘違いというものだ。
広告にある「人を想う力」 この言葉を深く理解し、実践できている人が次のグローバルステージに上がる資格を有しているものと思うがいかがなものだろうか。
さて、ここまで口うるさ型と思われる内容を書いてきてふと思った。少し前まで「マルチ人間」という言葉をよく耳にしたが「グローバル人間」との違いを自分なりに解釈するとグローバルの理解がしやすい感じがする。さて?
No.2955 スポーツに言うフェア精神とは
カヌーのトップ選手による後輩追い落としの手口には正直驚いた。どこぞの国と違って倫理レベルの高い日本人がやることとはとても思えないし、これに類似した犯罪など過去にあっただろうかと記憶をたどったものの思い出せないくらい日本的事件に感じられない。思いつきではすまないほど薬物混入、競技備品窃盗など単純性には程遠い計画性がうかがわれる。代表枠を求めて熾烈な闘いをするのはどの競技も同じはずだが、総合力やチームワークを求めない個人競技では確かに好不調のバイオリズムが結果に大きく左右する。したがって、人為的に相手の不調を画策するということなのだろうが、ドーピング失格を狙っての薬物混入は道徳的観念を著しく逸脱しているのは異論がないものと思う。世界が集まる大きな大会のたびに発生し、大国ロシアの選手たちに見られる自らの能力を化学的に鼓舞しライバルに打ち勝つことを目的としたドーピング事件とは異質の問題で比較にならない。
昨今は、社会の至るところ、至る場面で純粋さが低落し、想像だにしない事件が発生する傾向にある。聖人、聖職という言葉はもはやどの世界にも、何者にも当てはまらない死語に近い状況にある。前号で健康十訓を紹介したが、屈強剛健な身体を鍛えると同時に心の健康を持ち合わせているのが一流アスリートなんだと観る側は高い意識で捉えている。我々市民レベルの草スポーツであってもフェアな精神をつないでいきたいものだ。スポーツは青少年の健全な育成に大きな力をもっていることを忘れてはならない。
No.2954 健康十訓
乾燥した空気に体調を壊す方が多いようです。ようやく新年初のお湿りがありましたが、明日はまた冬晴れになるようです。
先のブログに皆様からの反応をいただきなにより嬉しく感じました。ありがとうございました。
相方に先立たれた友人を見るにしのびなかった6日の通夜。クシャクシャに赤らんだ表情に加え、背を丸くし肩を落とした彼は会葬者に頭を垂れるのがやっとといった感じでした。すい臓がんということですが胃からの転移が10年近くの歳月をかけてすい臓を襲ったといいます。さぞや痛く辛かったことだろうと言うと、痛みを感じない治療を本人が強くお願いし、家族にはすい臓転移を隠し通して知ったのは亡くなる3か月前だったとか。最後は食べ物を受け付ける状態ではなかったことから故人が望んだ帰宅が許されず、目を覚ました時「なんで家じゃないの!」とか細い声で怒られたとか・・・その日の夜半に息を引き取ったということでした。祭壇の遺影がふくよかなお顔だったことが会葬者の悲しみを多くさせていたように思えました。
年賀状でも健康にふれることが当たり前のようですが、ここでご存知の方がいらっしゃるかとは思いますが、健康十訓によりあらためて健康を考えてみたいと思います。
一、少肉多菜・・・お肉ほどほど野菜もりもり
二、少塩多酢・・・塩分は高血圧の元、酢は胃腸元気の元
三、少果多水・・・ジュースより水を飲め
四、少食多噛・・・腹八分目でよく噛むことは肥満防止
五、少衣多浴・・・薄着で風呂好きは頑強な身体を作る
六、少言多行・・・口よりフットワーク
七、少欲多施・・・欲望をおさえ目を広く感受性豊かに
八、少憂多眠・・・くよくよするなら寝るがよい
九、少車多歩・・・健康への近道は車より徒歩
十、少憤多笑・・・腹の立つことがあってもニコニコと
この健康十訓は心身の健康を広い角度から唱えたものですが、三については少糖多果が本来のものですが、私は少果多水に代えてみました。よろしければ健康維持の参考として自らを戒めて頂ければ幸いです。