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No.2952 心安まる社会になることを願って!

2017.12.31

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 いよいよ残すところ6時間、2時間後には紅白歌合戦が始まる2017年最後の時を迎えています。来年は平成30年となるわけですが、こうして考えると当時の小渕幹事長が平成の元号を紹介したのがつい先日のように感じなくもありません。国、埼玉県、幸手市にとってどんな平成30年になるのやら・・・そしてその翌年には天皇陛下の退位という大きな行事があり、その翌年はオリンピック年です。不穏と不安な空気が漂い続ける外交防衛の問題がどのように進展するのかも目が離せない状況です。安倍自公政権も外交分野ではしっかりやってくれていると思いますが、対露中韓との付き合い方および北の脅威への対応は正念場です。国内経済と教育問題も、そしてなにより憲法改正の実現に向けて政治がどう動くか。課題に事欠かない日本ですが、軌道を外れないように見つめたいと思います。

 平成後半の約17年は私にとっても人生の大きねうねりを感じる期間でした。まだまだ気持も身体も衰えたという実感はありません・・・いや、すみません少しありますかね・・・ともあれ地域の高齢化と人口減少対策は待った無しの中、出来る限り自治行政のあり方について更なる研鑽を積みたいと考えていますのでよろしくお付き合いのほどお願いいたします。
 さしあたって、ブログは3,000号到達までおよそ半年ほどとなりましたが、ひたすらに、のんびりとアクセクせずに頑張りますので相変わりませぬアクセスをよろしくお願いいたします。
 
 それでは皆様、良いお年をお迎えください!

No.2949 天安門事件の犠牲者

2017.12.25

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 英国公文書の機密解除内容として香港紙が報道したところによると、1989年6月3日に北京で発生した学生たちによる民主化運動での犠牲者を3,000人と推計していたという。学生たちが鎮圧にあたった軍から退去を命じられた際「1時間以内に立ち退くように」との指示だったが、装甲車や戦車による攻撃はそのわずか5分後だった。そして、あの冷徹な惨劇が実行され、天安門は地獄の修羅場と化していくわけだが、当時この広場を見下ろす一室で華国鋒、胡耀邦、趙紫陽といった民主化正当論に近いやむなし論を唱える国家リーダーたちが固唾を飲んで見つめていたが、と小平の強硬論によって武器を持たない若者に向けて軍の攻勢が雪崩を打つように開始されたという。はたして真実はいかにということになるが、その後の小平翁への権力集中との関係をどう理解するかといったところか。
 当時の英国大使は「少なくとも1万人が死亡した」と本国に伝えたそうだが、異なる大使からは「2,700人から3,400人」という下方修正の情報も入電されていたという。
 何人死亡したかについて、今報道修正する理由が何かは不明だが、英国の対中国の感情がおよそ芳しくないことを示していると思われる。習近平訪英の際のエリザベス女王に対する非礼が影響しているのだろうか。

 中国という覇権国家は覇権実行実現にあたっては我田引水、唯我独尊、ご都合主義といったイメージしか浮かばない国である。なぜなら、それは歴史的な観点においてその数値部分を改竄し、他国批判や大枚援助の取り付けを臆面もなく求める非道国家であるという点に尽きる。
 この天安門事件も中国の政府筋の発表は死者319人である。遺族が真相究明を求めているが、求めすぎれば遺族の命も危ないのではないだろうか。そんな一党支配独裁による非民主国であるということを忘れてはならない。
 南京大虐殺事件など最も下劣な例である。世界和平を求める地球のリーダーにならんとするのであれば、なぜ戦後70年を経て虐殺記念館という淫靡な施設を設ける必要があるのかと思う。アジアをまず意のままにするために日本が目の上のなんとかであるのはあきらかで、そのために日本が有する世界の信頼を侵略という歴史によって貶め、これに韓国を引き寄せているというのが現実である。この二国、どれほど日本か援助の手を差し出したことか。ここ数年、毎年12月になると虐殺記念館イベントを日本のメディアは取り上げるが、この記念館が出来たのはわずか4年前のことなのだ。しかも事件内容をいびつの数値にしたままである。もっとも、朝日新聞が記念館設立やその情報捏造に協力しているというのは我が国の恥部でもあるが、天安門事件自体はウィグル自治区やチベット自治区と並ぶ平民弾圧という中国の恥部であるのは間違いない。今になって真実を伝えんとする英国の思いは不明だが、毅然とした外交のあり方として少しでも見習いたいものである。自国に関する捏造を広められている日本はこの点紳士的というよりは臆病すぎはしないだろうか。

No.2945 デスペラード北朝鮮

2017.12.08

 ならず者、無法者、命知らず、犯罪者・・・デスペラードという英語が持つ意味は品性品格の観点からは最低の言葉である。北朝鮮の見るからに時代遅れの木造漁船が石川県沖から北海道の広い範囲で漂着しているが、あろうことか北海道沖の島に上陸して漁港内の事務所から家電製品など約800万相当を盗んだ船もあるという。違法入国した上に窃盗するとはなんというならず者だろう。ところが、今日さらに驚くことにその船はつながれていた巡視船のロープを切り逃避行を謀ったというではないか。日本のEEZ内で違法操業するだけで終わらず、パスポートもビザもないまま上陸した上に盗品を船に積み込むというデスペラードたち。最初は飢餓に苦しむ漁民たちの亡命かと思ったが、盗むだけ盗んで帰ろうとするとは、その荒くれぶりに開いた口がふさがらない。まさに暴走国家北朝鮮ならではであり、国が国なら民も民といった様相である。しかし、SLBMを発射する潜水艦を有する国家にあって漁民船との対比はいかにも違いがありすぎる。それでも国政への不満が上がらないのは国民を抑制する国家による統制が半端でないことを意味しているのかもしれない。 

 個人的にはこのデスペラードという言葉が持つ響きはけっして意味ほどに悪いイメージではない。ホテルカリフォルニアで知られるイーグルスが活動初期の1973年に発表した2枚目のアルバムは「デスペラード」という題名である。同名のタイトル曲は意味とは程遠い綺麗なメロディーラインのバラードで、多くのアーティストたとえばカーペンターズなどもカバーする名曲である。数ある彼らのヒット曲の中でも私の好みとしてはベストスリーに入る。しかしながら、やりたい放題の漁船を見ていてこの言葉が脳裏によみがえった。乗組員の一人は胃痛で病院に運ばれ、胃潰瘍と診断され手当を受けたという。北朝鮮は詫びと感謝の姿勢を誠意を持って示さなければならない。全体主義国家として国民を束ねる国であることを思えば金正恩が直接それに当たらなければならないところだが望むべくもないか。

No.2944 深夜放送の想い出

2017.12.05

 団塊の世代にとってラジオの深夜放送は青春時代のなつかしい記憶として残っているのではないだろうか。「セイヤング」「パックインミュージック」「オールナイトニッポン」等に耳を傾けながら受験勉強らしきものに立ち向かった10代後半は67年の歳を重ねた今でもまだ鮮明な我が歴史である。
 土井まさる、なっちゃんチャコちゃんも忘れられないパーソナリティーだが、私にとっては斎藤アンコー、今仁のてっちゃん、亀渕昭信といったニッポン放送の社員アナウンサーや高崎一郎さんなどがDJを務めたオールナイトニッポンが主力だった。その前身のオールナイトジョッキーでは日本のデスクジョッキーの草分けとも言える糸居五郎さんのゴーゴーゴーのフレーズが新鮮で、とにかく洋楽を集中的に流してくれる数少ない番組だった。ここでビートルズの「プリーズプリーズミー」を糸居さん自身が驚異的なサウンドと紹介し、リスナーが衝撃を受けたものだった。以降、リバプールサウンドからブリッティッシュロック、ウエストコーストサウンドからサイケデリック、サザーン、モータウンなど広くアメリカンロックに接することとなっていったが、自分にとって至極自然の流れだった。
 そして同じように糸居さんが紹介し全国的にセンセーショナルなインパクトをもたらした曲がある。「帰ってきたヨッパライ」である。加藤和彦、北山修、端田宜彦の三者三様のイメージが新鮮だった関西出身のフォーク・クルセイダーズという3人組によるものだった。耳にした時、それまで聴いたことのない奇妙奇天烈な曲風にまず驚いた。私はレコードを買うまでには至らなかったが、大学生の彼らが自作したた曲なのにどうやって録音したのだろうかとそれはそれはガーンと頭を叩かれたような衝撃だった。ビートルズの「ハードデイズナイト」が洒落た雰囲気で曲中歌に取り入れていたのが新鮮だった。

 先日、はしだのりひこさんの訃報に接した。トリオ解散後に結成したクライマックスで「花嫁」、シューベルツで「風」のビッグヒットを出すなど、最もポピュラーな活躍をしていたメンバーだったが最近は話題になることが少なくなっていた。享年72歳だったから団塊より少し先輩といった世代だが、パーキンソン病で長く車椅子生活だったという。時の経過をあらためて感じた。クルセイダーズでは3番目のメンバーという感じだったが親しみやすさでは1番だったはしだのりひこさん。これで加藤さんに次いで2番目の天国行きとなるが、久しぶりに二人で一杯かわして酔っ払うのもよいではないか。それこそが帰って来たヨッパライそのものではないかと。
 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

No.2943 おごるな白鵬

2017.11.28

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 スポーツの話題が素晴らしいのは限りなく世の中全体を明るくしてくれるからではないだろうか。それは勝ち負けだけにこだわらない不思議な魔力をスポーツが持っているからだと思うがどうだろう。
 ところが、大相撲は時折社会全体を暗くする癖があるように思えてならない。他のスポーツがすべて清潔感にあふれているとは言わないが、相撲の落とし方は他の比ではない。すでに過去ブログで若干のことは書いてはいるので詳細は控えるが、世間の大方の考えと同様に、白鵬の言動について大きな問題を感じるので再び今回の事件を取り上げた。
 今、あえて使ったように今回の一見はすでに事件化している。そこで白鵬が優勝後のインタビューで暴力の加被害両当事者の復帰を果たさせたいと語った。白鵬が警察の事情聴取を受けることでそのようなことが現実となるのだろうか。どのように聞いても偉そうにとしか感じられない発言だった。会場は拍手の渦となっていたが、千秋楽を観戦し麻生副大臣の登場などもあって観客の気分も最高潮に高揚していたこともあるのだろう。その後、白鵬の音頭で万歳三唱と相成った。なぜ万歳三唱? 自分の優勝に対する祝いの催促か、それとも大相撲の繁栄を祝う行為を求めたのか。いずれにしても奥ゆかしいことでは世界一と思われる日本人にとっては少々違和感を感じるものではなかったかと思う。
 相撲自体の取り口でも、カチ上げ、ひじ打ち、張り手、ダメ押しといった横綱としての品格が感じられない内容が多すぎる。勝利を受けた後の勝ち誇った仕草も独特で、女性の批判の対象になっていると聞く。そして、例の嘉風戦の土俵外抗議である。立合いを見る限り、綺麗な立合いであり、白鵬は左手で嘉風の右頬を張っている。待ったもヘチマもないではないか! それが原因で頭を下げて下から出た嘉風にモロに組まれたところで右手を上げた。しかし、実際のところここまではどうでもいいことで、行事軍配が上がっているにもかかわらず土俵外で手をかざして行った抗議行為には観ているもの全員があきれて見つめたのではないだろうか。清く土俵にあがり礼をして降りるのが相撲道の姿のはずである。アナウンサーがしきりに前代未聞と発していた。

 とにかく、事件として警察の捜査対象になっている現状で、その対象者を公でかばう発言は行き過ぎの行為だ。事件現場にいた当事者として話すべきは話すということに徹し、それ以上の私的感情を口にするのは奢りが為せるものか、救いの手を差し伸べたいという明確な優しさから出るものなのかわからないが、多くの方は白鵬にこう言いたいのではなかろうか。
 「控えおろう!白鵬殿」

No.2941 トップの品位品格

2017.11.18

「ほんのひと言が人の心を暖める、たったひと言が人の心を傷つける」
 語り人知らずだが、なかなか意義深い言葉だと思う。どこぞのメトロステーションに看板として取り付けられていたように記憶している。
 小池百合子さんが希望の党の共同代表を辞任した。衆議院選挙の結果次第では単独代表どころか総理大臣のイスまで見据えていたはずの小池さんだが、やむなく共同代表制をしいたものの葛飾区議選の結果はもはや彼女に二足の草鞋を履くことを許さなかった。葛飾区民の選択は東京都民の選択と理解すべきであり、国民の間にも同じ思いがめぐっていたものと思う。
 これで小池氏の政治生命は都知事一本に絞られ、2期目に信任されるかどうか知事としての勤務評価に都民の厳しい目が光る、ある意味瀬戸際の状態に置かれたことになる。
 

 凋落民進党の議員に希望への転党のススメを謀り、自身経験のない巨額の資金の金庫番を手中にすることを画策していたとする説もあった。このあたりは自らが転党の政治経歴を有していたこともあってか悪びれた感じは受けないが、はからずも左派系カットの思いが「排除」のひと言を生むことになった。
言葉がこれほどまでに短期間で人物評価を変えてしまうことに驚かされたが、とくに選挙という信任負託制度を原点にする政治の世界では有権者という感情の存在があるのでこうした大逆転劇があるということなのだろう。

 
 言葉に限らず、トップに立場にある人間の品位品格はいろいろな視点から問われる。上尾市の市長・議長の行為も市民の信頼を損なうものであり、氷山の一角という意見もある。日馬富士の暴行事件もあってはならないことである。また、相撲界経営陣の一角にある貴乃花親方が「弟子が受けた暴行は親方が受けたのと同じことだ」と語ったというが、どこぞの世界でもあるまいし、売られた喧嘩は黙ってるわけにはいかないとばかりの思考はいかがなものかである。そもそも巡業担当理事として事件の早期解明に動くべき立場が被害者届けを出した数日後に暴行を受けたという話は聞いてないというのはどうしたことか。裏にどういう事情があろうとも部屋同士の怨念感情を強く出し、事の隠蔽を謀る親方に理事長挑戦の資格があるのだろうかと感じられてならない。経済社会にも業界トップクラスの企業の不正問題が続出する現象が止まない。トップの品位品格が崩れる日本社会が透けて見えるようだが、それを立て直すのもトップの仕事であるのは間違いない。

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