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No.2955 スポーツに言うフェア精神とは

2018.01.11

 カヌーのトップ選手による後輩追い落としの手口には正直驚いた。どこぞの国と違って倫理レベルの高い日本人がやることとはとても思えないし、これに類似した犯罪など過去にあっただろうかと記憶をたどったものの思い出せないくらい日本的事件に感じられない。思いつきではすまないほど薬物混入、競技備品窃盗など単純性には程遠い計画性がうかがわれる。代表枠を求めて熾烈な闘いをするのはどの競技も同じはずだが、総合力やチームワークを求めない個人競技では確かに好不調のバイオリズムが結果に大きく左右する。したがって、人為的に相手の不調を画策するということなのだろうが、ドーピング失格を狙っての薬物混入は道徳的観念を著しく逸脱しているのは異論がないものと思う。世界が集まる大きな大会のたびに発生し、大国ロシアの選手たちに見られる自らの能力を化学的に鼓舞しライバルに打ち勝つことを目的としたドーピング事件とは異質の問題で比較にならない。
 昨今は、社会の至るところ、至る場面で純粋さが低落し、想像だにしない事件が発生する傾向にある。聖人、聖職という言葉はもはやどの世界にも、何者にも当てはまらない死語に近い状況にある。前号で健康十訓を紹介したが、屈強剛健な身体を鍛えると同時に心の健康を持ち合わせているのが一流アスリートなんだと観る側は高い意識で捉えている。我々市民レベルの草スポーツであってもフェアな精神をつないでいきたいものだ。スポーツは青少年の健全な育成に大きな力をもっていることを忘れてはならない。