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No.2464 2週続きの記憶にない大雪に・・・

2014.02.17

 災害にもいろいろな種類があるが、ここ2週続けて大雪に見舞われた東日本では多くの人命も奪われた。今朝の青空を見る限り、優しい頼れる空に見えるが、一旦低気圧にふれるとこうも恐ろしい空に変質するものかと恨めしい気持になる。

 14日の金曜日、早朝5時に幸手を出発したお伊勢参りのバスが、雪の影響にあい始めたのが海老名SAあたりから。三重県の御在所SAあたりからはスピードが鈍り始め、伊勢神宮到着時刻の2時予定が4時になり、すでに雪の影響で参拝不可の状態。理由は滑ること以外に神宮内の木から落下する雪が危険とのこと。確かに着いた時点でここ100年ほどは記憶にない雪だというので、それもやむ無しと。うっそうとした神宮の森にも相当の雪が積もっているのは、鳥居前の積雪からもわかるほど。おもかげ横丁も早めの店じまい。
 さて・・・ここらがものすごいことに。

 神宮をあとに鳥羽のホテルに向かったのはよかったが、伊勢を過ぎて二見ヶ浦町に入る頃からバスが動かなくなり、この後なんと時速100メートルの超ノロノロ。42人の同士の皆さんがバスを降り、向かいのコンビニのトイレを利用するなど、考えもしない事態に遭遇。
 しかし、まだまだ考えは甘かった。途中Uターンして有料道路に向かうも行ってみたら通行止め。有料も優良にあらず?? すみません。

 再びほとんど進まず状態の国道42号にとって返すしか手立てはなく、情報がほとんど入らない状態に誰も不満を言うものも出ず、時は淡々と過ぎていく。 ようやくノロノロではあるものの、継続的にバスが動き出したのは日が変わった12時すぎ。もちろん夕食も食べてない42人だったが、それだけでも歓声があがる雰囲気。鳥羽までの海岸沿いを走る道はけっこうなアップダウンで、途中多くの車が乗り捨ててあり、対抗車線ではタンクローリー車など6〜7台の車がどちらに向けて走っていたのかわからないほどの接触事故現場が残されたまま。これか!渋滞の原因は。 100年ぶりの雪で、しかも温暖な地域というイメージの伊勢志摩であれば、すべてにおいて想定外でチェーン、スタッドレスはもとよりラッセル車など用意も少ないことだろう。

 ホテル着午前2時。なんとおにぎりくらいは用意してくれているだろうと思っていたのだが、事前連絡したにもかかわらず「出来ない」と断られていたようで、それどころか、早く部屋に入ってくれと言わんばかりの若女将の苛立っているような物言い。名前は出さないが、客の実態に思いやりの推測も加えることのないおもてなしゼロのホテルに絶句。
 風呂には入れたものの眠れないまま。テレビが羽生選手の奮闘を伝え、憤怒の気分が癒されながら4時すぎには浅い眠りに。と思いきや、空腹ゆえか6時に目が覚め、旅のお定まりの朝風呂から朝食・・・生卵、アジ、味噌汁で2杯半一気に。
 休む間もなく出発。時間は15日8時半。再びお伊勢様参拝にチャレンジ。すでに多くの観光バスが参拝者を降ろしていたものの参拝不可は変わらず、宇治橋前の鳥居をバックに写真撮影がせいぜい。

 鳥羽に戻ってフェリーで伊良子岬から田原、豊橋を抜けて豊川稲荷参拝。豊川稲荷の壮大なたたずまいに驚いたのも束の間、この後が悪夢の最高潮へ。
 豊川ICから東名に。ここからなんと静岡ICから東京ICまで大雪で通行止めだという。新東名もしかり。そこでバスはいろいろ考えて日本平SAで休憩することに。すでにSAは足止めをくったトラックだらけで満杯。数えた人によるとざっと130台だったそうで、我がバスも正規の場所には止められず端にひっそっりと、なにより他に観光バスが見当たらない状況に不思議な思い。
 この時間・・15日の午後2時。6時になってガイドさんが明日の仕事に穴はあけられないとSA裏にタクシーをよんで静岡から新幹線で帰路に。このまま一夜がすぎ、車中で葛西選手の銀メダルに全員が置かれた状態を一瞬忘れたかのよう。
 しかしながら、車中では長時間眠ることは叶わず、誰しも足が重くなるようで、時折車外に出てはトイレやレストランに出入り。体を癒すことに専念。
 このSAで結局3食を取ることになったのです。
 午前6時、第2弾の新幹線利用者が3名。そして8時半に第3弾が9名で、ここに私も参加。9時37分のこだまで東京着10時40分。宇都宮線に若干の遅れが出ていたものの、我が家に着はほぼ13時近くのことでした

 その後も東名は通行止めが解けないまま。☎でバス状況を確認するも、午後8時になっても日本平に釘付け状態。ようやく10時に解除となり、20数名の残った方々が幸手に戻ったのは今朝17日の4時過ぎだったそうです。ホテルで寝たのはほぼ2時間程度の1泊4日の伊勢参りということに。お疲れ様でした。

 長野、山梨で100年ぶりですから、埼玉のそれは未経験もいいところ。熊谷ドームや富士見市民体育館の事故だけでなく、香日向でもガレージの損傷が多く発生したとか。
 先週の雪では私の県政報告会を強行しましたが、300名近い参加者が訪れ、なんとかほっとしたものの、その時応援に来てくれた富士見市の星野県議は15日の自分の報告会を中止したそうです。雪としては今週のほうが量も被害地域も多かったようです。自然に立ち向かうといっても、こうした雪ではなすすべが無いということでしょうか。残念でしょうが素晴らしい決断だと言えます。

 亡くなられた方々に慎んでお悔やみを、また被害に遭われた皆様に心よりお見舞いを申し上げます。

 話は違いますが、いま予算委員会をやってます。民主党のとんがった物言いにはほとほと愛想が付きます。もとより民主党を支持も支援もしたことはありませんが、若い政治家がこうした揚げ足取りの発言ばかりしていたのでは個人的に成長もしないでしょうし、民主党が自民党に対抗しうる政党になることも困難です。それすなわち日本の政治が高揚しないと考えるならば残念なことです。
 安倍総理!安倍総理!と総理の言質を獲るために総理を名指しする若手の発言に喝!ですよ。どう安倍総理を攻撃しても賛同を得難い質疑は醜いだけです。いま、前原元代表が出てきました。日本を現状に貶めた政治家の一人ですが、さて。

No.2047 石巻ショップ “希りん”

2013.12.26

 寒い朝。「心ひとつで暖かくなる」という歌詞が印象深い、大好きな吉永小百合さんの歌のタイトルですが、12月の冷え込みとしては、例年以上の厳しさを感じますね。ふたり住まいの我が家で、家内と心ひとつにしても、さして暖かくなる感じはしない?のですが・・・あれ? 怒られるかな。

 さて、寒いと言えば忘れてならないのが、未だ仮設住宅暮らしの方が多い被災地地域のことです。太平洋側は日本海側の各県と比べて積雪は少ないようですが、それでも寒気の状態は高齢者や女性には辛く厳しいものが想像できます。

ファイル 349-1.jpg 実は、幸手市に石巻ショップがあるのをご存知の方は少ないかと思います。私も昨年の市民まつりで知り合ったのがきっかけですが、石巻の鰹節家さんで生まれ育った小林さんという女性が、ふるさとのために少しでも役にたちたいと始めたのが、石巻ショップ“希りん”です。商工会青年部の後押しなどで市民まつりに出店するようになったことがきっかけで常設店を構えるまでになったようです。愛郷無限が示されたホットな事例だと思いますね。
 被災地は広い範囲で復興に向けて遅い歩みを進めているところですので、今年の冬も身体の芯まで温まることを妨げるような厳しい毎日だろうと思いますが、そんな故郷に思いを馳せて、頑張る女性が幸手にいるということを、読者の皆さんに少しでもご理解頂ければとご紹介しました。

 小林さんにすれば、多くの人に立ち寄ってもらえることが売上を上げる以上に励みになることでしょう。これもまた「心ひとつで暖かくなる」ということではないんでしょうかね。

No.2384 ピンポイント的大災害 

2013.10.17

 先週の真夏日が信じられないほど今朝は冷え込みました。半袖に防犯チョッキだったのが、今日は長袖に防犯ジャンパーと、一気に冬支度のスタイルに。

 さて、昨今の陽気異変は当たり前のようになっていて、報道ほどには驚くこともなくなったとの思いも束の間、26号の被害がこれほどのものになろうとは思いませんでした。
 伊豆大島での死者17名、不明者40名超という人的災害には、予報予測が数日前から出ていたこともあったにもかかわらずですから、その猛威に驚かされました。水、風、土、といった自然が大きく動くと人知をもってしてもひとたまりもないということと理解するしかありません。いかほどの準備対応をしても、その上をいく自然の驚異を思い知らされます。

 幸手市でも大堰橋付近の冠水が厳しかったようですが、前回かなりひどかった地点では、その時ほどではなかったということです。つまり、昨今の雨はとくにピンポイントで狭いエリアを襲うようで、大島の場合も地図を確認する限り、広い絵図の中で小さく感じる大島上空に豪雨をもたらす雨雲が停滞したということです。
 もともと三原山を神の山とする島で、その稜線が風光明媚な大島をイメージ付けている島ですので、そうした地形が土石流被害をもたらしたと思うと、風光明媚というのも裏表ありということと思えてなりません。残念無念!
 今朝のニュースで、70歳の女性が地中に埋まっているものの、「水が飲みたい」との声が聞こえたとか。身体にとりつく異物には危険ななものもあるかもしれませんので慎重な救出が望まれますが、命を尊さからは、まずは一命でも確実に救出できればなによりです。
 亡くなられた皆様のご冥福をお祈りし、まだ不明のままの方々の一刻も早い救出を願わずにはいられません。

No.2372 台風18号の爪痕

2013.09.17

 天災には人の生活などひとたまりもない。今月2日に越谷、松伏、野田を襲った竜巻は、その通り道で大きな被害に遭った建物屋上から目にした光景に身がすくんだ。
ファイル 314-1.jpg しかし同じ埼玉で昨日突風に見舞われた熊谷、行田は状況からすると、さらにその上を行くものだったのかもしれない。写真がそれだ。越谷では倒れた家まではなかったが、これを見る限り、瞬間風速の恐ろしさが感じとれる。水害と合わせて風害もともなう台風は多くの農家を容赦なく直撃した。今後、想定される被害総額はかなりのものが予測される。

 今回の台風被害は、埼玉のみならず京都から北海道まで広範囲に及んでいる。洪水・氾濫・土砂崩れといった状況は、わかっているだけで3名もの命をも奪われている。他に行方不明者も数名いる。台風の大きな渦の中で局地的に竜巻が発生したという事実はほとんど経験がない上に、そもそもゲリラ的集中豪雨でさえ始めての経験ですという人が多いことに驚く。
 社会の変化、人間生活の変化とともに、自然も大きな変化をしたということなのだろう。最近の空は1年中ゴロゴロ鳴り響いているような感じだ。

 そんな折、荒川水系の多くの世帯を支える水源地の合角(かっかく)ダムの取水制限が解除になった。本日午前11時のことだ。利根川水系でもまもなくのことだろうと思う。
 初夏から悩まされてきた水不足が、大きな災害をもたらした台風一過を合図に解消されるというなんとも皮肉な状況になってしまった。
 自然災害の怖さと、その対処法については、今までの認識度をランクアップしなければいけないと強く感じさせられたが、この恐怖の9月をいつまで記憶にとどめておくことができるだろうか。いや、さらにこの上をいく災害にいつ見舞われるかわからないという恐怖が芽生えつつある。

No.2371 幸手市各地も冠水状況

2013.09.16

 15日早朝、目が覚めて「けっこう雨が降ってるなー、こりゃあ上高野の地区民祭も先週に続いて中止になるかなー。可哀想に」といった目覚め感覚で時事放談やらなんやらまどろみながら見ていた・・・・ところが、8時頃だったか、朝食前に新聞を取りに出たところが、玄関の階段1段目のかなりのところまで水が来ていて、長靴なしでは道路に降りられない状態。これほどあっという間にというか、知らぬ間にというか・・・急な雨に見舞われた記憶はかなり以前にさかのぼる。
 地元地域を見回ったら、すでに大中落としはあふれ、道路2本目あたりまでのお宅で植え込みブロックの上部まで冠水。マンホールからは逆流のプッシュアップがあちこちで出ているといった様子。

 午前中、お招きを受けていた行事を終えて、市内各地を回ると全域にわたっての冠水。長倉地区牛村では、あと1センチほどで床上浸水になるお宅まであった。情報としては目にも耳にもしていないが、おそらく実際に床上浸水にまで至ってしまった家があったやもしれない。
 聞いたところでは、9時から9時半ころがピークだったようで、早朝さほどの豪雨といった感触ではなかったはずが、こうした被害におよんでしまったということは、我が上空で降った雨にプラスして少々上流、幸手で言えば鷲宮、栗橋といった西側地域での雨量が影響しているのだろうとも感じる。

 午後は驚くほどの天候回復ぶりで真夏日のぶり返しのよう。道路の乾きも猛スピード。その後、夜になって緑台の知人から緊急電話。慌てて行って見ると、この地の道路はまったく他とは別。それどころか、民家に隣接する稲刈り終了後の田から水がまだ流れ出している状況で、多くの男女がもっとも水が上がったお宅の玄関前に土嚢を積む作業をしていた。地域力に感心したものの、夜半からまた大雨の予報がでていることもあり、皆さんから受ける雰囲気は不安感が隠せないといった感じ。
 市役所に連絡してもなかなか対応してくれないという声を多く耳にしたが、市内数箇所を回った私としては、職員の対応もなかなかままならないだろうと見越すことはできた。また、私とて見回ったからといってその場で何ができるかというと、対処しようがないというのが実態である。あまり、水が引かなすぎたので排水口に手を入れたら、落ち葉や布切れがかぶっていて排水機能を停めていたので、急いで数箇所の排水口の異物を取り除いたことが何年か前にあったことを思い出した。
 ともあれ、それほどひどい実態だった。ニュースでは仙台をはじめ幸手以上の冠水被害となった地域を目にしたが、どこでも役所の対応がてんやわんやだったことは間違いない。

No.2370 越谷の被災地状況

2013.09.12

 朝晩は冷え込む感覚が出てきましたが、今日の日中は暑かったですね。
 さて、本日は自民党県議団として松伏、越谷の竜巻による被害状況を視察しました。私は個人的に明日も出向く予定をたてているのですが、急遽決まったスケジュールですが団としての活動ということで参加した次第です。

ファイル 312-1.jpg ファイル 312-2.jpg越谷市では、高橋市長をはじめとする部課長職員の方による詳細な説明をうかがった後、現地へ。目に飛び込む現状は竜巻被害の特徴はもとより、その怖さをまざまざと見せつけられました。家から見ていた人は、近づいて来る竜巻を目にし、なんとも言われぬ恐怖感を味わったことは間違いありません。
ファイル 312-5.jpg 大畠中学校や給食センターでも無残な実態には変わりなく、当時給食センターで仕事中だった職員さんは、あまりの怖さに冷蔵庫の中に逃げ込んだ方もいたそうです。センターの屋上から竜巻の通過状況がよく理解できます。ほぼ100mの幅で構築物をなぎ倒し、吹き飛ばしていったことがわかるのです。松伏方面に向かって約500メートルほど先に見える地点に、数件のブルーシートが見えますが、そのすぐ脇には、大きなゴルフ練習場があるのですが、どうやらきわどいところで被害には合わなかったことがわかります。あの巨大な高さの支柱とネットは跡形もなくなっていただろうと推測できるほど、被災地点の状況がひどいからです。
 これから県議会がどういった災害支援に向けて手を差し伸べることができるか・・・それを考えながらの現地視察でした。

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