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No.3220 野党連合+護憲メディア

2019.12.16

 昨日書いたブログにご意見をいただいた。同意とわかりやすいというご意見であった。今朝の報道によるとイギリスは通商交渉で高飛車な要求をEUにせまる可能性に触れていた。パワフルで強気なトップダウン政治が功を奏した今回の総選挙だったが、UE離脱を成し遂げても成り行き次第では、次期総選挙で保守党大惨敗という形勢大逆転も無くはない。個人的に愛すべき国、好きな国という想いもあって常に気になるお国事情である。

 さて、相変わらず「桜を見る会」で政権打倒を目論む野党と護憲メディア連合チーム。昨夜は立民の枝野、福山氏と共産党の志位、小池氏による大野合食事会があったそうだ。もとより、立民が限りなく共産党に近い理念集団だということはわかっていることだが、野党合流が性急な形で協議入りするかどうかが話題になっているところで、この食事会はどういう意味を持っているのだろうか。護憲メディアは、安倍政権の支持率低下を愉快報道しているが、反面、合流野党に政権を負託するという世論は相変わらず低調だ。
 あの3年半の政権で国家の威信が著しく低下し、その影響が中韓朝3国の強気な外交路線に拍車をかけたことを国民は忘れていない。同時に経済政策に良策もなく株価が8千円台にまで落ち込んだことは、年金問題を攻撃して政権を掴んだものの、年金原資の運用策を好転することが出来なかったともいえるわけで、政策でもつまづいた政権だったと言える。

 いつまでも昔のことを言ってていいのかという声も、不安定な国際情勢が続く状況にあって、大きな教訓を国民にトラウマとしてもたらした悪政の評価はそう簡単に消え去るものではない。そして、その後の7年間で何も変わってはいないし、変えようともしない姿を野党第一党立憲民主党に感じている。そもそも、立民は小池百合子氏による言葉敵失が生んだだけの第一党であり、今、集まる人は選挙第一であり政策的には統一性がない政治集団だ。
 はっきり言って、好感を持って迎えられない政治家が多いことも賛同者が増えない原因ではないかと思う。たとえば立民幹事長の福山哲郎氏だが、今回の台風洪水で八ッ場ダムが大きな役割を果たした事実を素直に認めればまだいいが、「災害対策を優先するべきでこうした批判はおかしい」とし、ダム工事を中止にしたことには言及しない姿勢だ。蓮舫さんも二重国籍問題で身ぎれいにしないまま政権批判の言葉は遠慮なしで、常にブーメランの対象になっている。この人も民主党政権時に世間の期待と注目を集めた「仕分け」で、多摩川の堤防強化を急ぐことはないとして切ったことへの明解かつ納得のいく説明はないままだ。あくまでも一つの例である。その上で、桜を見る会で民主党時代のことを問うのは、阿部首相が私物化していることとは違うからおかしいと。安倍首相が私物化していると決めつけた発言だ。国民民主党の森裕子さんもその一人で、もっと友好的な雰囲気を感じさせる言動の方が個人はもちろん政党としてのイメージアップにつながるはずだと思えてならない。
 このようにテレビに映る野党議員の多くが国民の共感を得ない姑息な恫喝上から目線タイプが多いことが、野党人気の盛り上がらない理由ではないかと思う。この点、55年体制時の社会党や民社党の名物議員たちの深みのある存在感とは大いに異なるところではないだろうか。
 護憲メディアも首相に関して印象操作目的の品のない文章が目立つ。例えば「総理が国会延長を袖にした魂胆は・・・」など大メディアの文章とは思えない。袖にするとか魂胆を安倍首相の人柄に結び付ける狙いなのだろが、これらの意味を調べればいかに低俗な言葉遣いかがわかる。
 こうした表現を評価するならば、その思惑が、表現と報道の自由の下品かつ中傷的なスタイルを自ら示しているに過ぎない。これを言えば、言論統制だと自分たちに向けられる言動には厳しいチェックをするのも常套手段だ。こうしてうがった言論の自由がまかり通る日本なんだろうと思う。
 沢尻えりかが逮捕時にも釈放時にもニュース速報が画面をにぎわした。しかし、今日、立民の初鹿明博衆議院議員が強制わいせつの疑いで書類送検されたことは速報になったのだろうか。出たのであれば小生が見逃したわけでお詫びしなければならないが、野党への批判報道は控え目なのが我が国の報道特性であることを指摘する意味でのこととご理解いただきたい。
 野党が言うところの「安倍さんにだけは憲法改正を実現させたくない」という言葉も理解に苦しむ。個人的なことなのか!と。安倍さんではない人が総理なら改憲オーケー? 政治理念上というより憲法理念が軽すぎる。倒閣目的の批判のための批判に撤する現野党が政策論争もなく、ただただ67日間の臨時国会を無駄にした責任は重い。国会にかかわる1日のコスト4億円は税金だという思考が無さ過ぎる。桜を見る会の責任にするのはお門違いだ。過半数の強権を駆使することを避ける政権もほどほどにすべきかもしれない。ボリス・ジョンソン式にとまでは言わないが。

No.3206 懲りない元首相

2019.11.20

 前号及び前々号にご賛同いただいたいた方が多くいたことに感謝申し上げます。
 ところが、かの宇宙人鳩山元首相が、なんとなんと次のような発言をして当たり前のように大ブーメランに遭っている。
 「沢尻エリカの逮捕は、政治スキャンダル隠しだ」と。
 空いた口がふさがらないが、案の定こっぴどい反応がSNS上で活発化しているのだ。
 この人、もはや宇宙人とかではなく、国益を阻害する狂気の存在という実態ではないだろうか。中韓朝3国の側に立っての発言にも憤りが隠せないが、ここまで低次元の政権批判をする現実は、愛国心のかけらもない人物という評価しか持ち得ないし、元首相として敬意を表する必要もないと思わざるを得ない。
 首相経験者には、生涯にわたり護衛SPが就くというが、これも税金の無駄遣いとしか感じられない。もはやこの御仁にその必要があるとは思えない。この発言が元首相のものとして世界にも打電されていると思うと、事の脈絡も含めて物事に分別がついていないという意味において国際的にも恥ずかしいことである。マスコミも元首相の発言の取り扱いには慎重に対応すべきだと思うが、いかがなものだろうか。

No.3059 どっちもどっちの国会審議

2018.11.27

 国会が入管法をめぐって荒れている。荒れる原因は、来年の統一地方選挙をにらんでの政権のイメージダウンをあぶり出そうとする野党の目論見があるとみられる。また、更なる根源として改憲論議に入らせたくないこともあるだろう。それが証拠に憲法調査会の招集がなかなか実現せずにいる。連立を担う公明党代表の一昨日の発言では、来年中の発議もままならないとのことであるから、この点では野党に強気かつ安心感を与えているものと思う。
 ともかく、メディアは入管法の審議時間が20時間足らずという点に疑問を投げかけ、野党同様に強行採決だとして国会運営のまずさを指摘する。例によって、国政国益論からはずれたテレビ局では、国会運営の在り方がすべて自民党安倍政権の問題であるかのような報道に撤している。26日の予算委員会での立民の山尾志桜里議員の質疑姿に疑問を発する局は皆無である。上から目線で自分は総理としか質疑応答しないといった姿勢で、法務大臣の答弁を拒み、かといって総理が発言するともういいですよと失礼極まる態度。野田委員長の発言にも応じず甲高い声で質問席からやじり、しまいには総理に対して「器が小さい」と言い放つ。こうした発言はもはや罰則対象にもなり得る発言だと思うのだが、強気な国会運営はこれまたマスコミの材料になるので、好き勝手の言いたい放題状態である。これでは本質の審議が足りなくなるのもやむを得ない。
 法務委員会での審議の実態が不明だが、本来は、外国人労働者を安上がり人材の道具的論理でしか対応しない悪質企業に対する罰則問題だとか、人材不足で倒産が相次いでいる建設業界の実態などを深堀りする質疑が無ければならない。米中貿易摩擦の影響で経済に翳りが見える状況でもあるから尚更ではないか。
 埼玉県庁前に本社のあった建設会社が東日本に広く応札をし、高額な建設契約を請け負ったものの、結局はそれらの工事を投げ出す形で倒産したのはつい最近のことである。それにより、宮城県の復興事業、東京のオリンピック関連事業、埼玉県内の学校改築事業などのゆくえが暗礁に乗り上げ、学校は予定の4月完成が不可能となり7月にずれこむことから大きな問題となっている。
 産業界からの要望が大きい法案とはいえ、それに応じる思考が優先してはならないが、現実をもっと把握した建設的議論がなされるべきなのに、野党はとにかく大臣たちの言質をとり、有権者の目が野党に向くことに躍起となっているように感じる。支持率が下がり続ける現状打破に対する国会戦略ともとれるが、敵失で支持率を上げるよりは真っ向から議論をぶつける方が国民の理解は得られるはずである。そういう点では山尾議員の以前と変わらぬエキセントリック一本やりの質疑には首を傾げざるを得ない。それが手柄としての評価につながるかどうかは有権者の判断に拘わることでもあるが、国会関連のニュースを見ていると、立民が野党第一党のせいもあるが、辻元清美や山尾志桜里といった議員が野党の顔として毎日画面いっぱいに出番があることに、一時代前の国政がなつかしく思えてならない。それは野党に大物感を漂わせる議員が少なくなったことが原因なのかもしれない。
 審議が参議院にうつると、今度は立民幹事長の福山哲郎議員が審議をストップさせる質疑手法を執拗にぶつけてくるのは間違いなく、政治を目指す人達にとって毒にはなっても薬にはならない国会運営が続く。

No.3055 消えたはずの政治家の謀議

2018.11.11

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 消費税や外交上の議論が進まず、相も変わらず大臣の首獲りに邁進する国会論戦。あきあき辟易といった思いがしてならない。委員会室がまるで取調べ室のようではないか。
 地方が沈みかけているにもかかわらず、地方創生論議をするでなく、同大臣のスキャンダル追及に明け暮れている。片山さつき大臣の疑惑は確かに明朗ではないが、辞めさせて新大臣に代わって、はたして合意納得の上で国家国民のための議論が進むとも思えない。任命者の責任が問われるのか、当の大臣が悪いのか、本質を脇に置く野党が無責任なのか・・・現野党の国民支持率は大臣の首を獲ったからといってさほど上がることもないだろうし、与党の支持率が若干低下するぐらいのことではないかと思う。なぜなら、国民はあの民主党による魔の3年3ヵ月を忘れてはいないからだ。外交も経済も低下し、なにより国家の威信を貶めた政権にこりごりしているのが現実である。
 年金処理の不始末の責任をすべてかぶせる形で国民は自民党にお灸を据えたが、革新リベラル政権は政権運営そのものにお灸を据えられ、その復活は悪夢の再現と感じている国民はまだ相当数いるものと思う。自民党にどことなく嫌悪感を持つ国民も、政治的というよりは人情的判官びいき感覚なのだが、肝心のひいきしたい野党がいないというのが日本の政治の実情ではないだろうか。
 そうした政治環境にあって、そぞろお出ましになられた政治家が3人、都内のホテルで会合を持ったことが報道されている。声掛けは前原誠司氏、あとは小沢一郎氏と橋下徹氏。ほほー今頃なんだ?といったメンバーである。
 橋本さんを除く二人は現職とはいえ国政の表舞台から消えた人。小沢氏は一昨年の選挙で息絶え絶え状態に陥った様子だったが、沖縄知事選でかすかに生きていることを知らしめ、復活の気配を漂わせている。まるで起き上がり小法師の様な人だ。前原氏は党首として究極の選択をしたものの、民主党の破滅を招き、多くの逃亡議員を生んだ元凶となった。橋本さんは政治家としての復帰はないと明言しているが、この世界は何でもありということで、それを信じている国民は少ないはずである。「政権奪取論」という書も、タイトルからして地方政治の頂点に立った経験を持つ橋本氏の思いが書かせたものと考えるのが自然である。ならば、国政の頂点に立たせてあげようとでも小沢氏に吹き込まれたかどうか。小沢氏ならやりかねない。まずは、その前段として橋下氏に来年夏の参議院選への出馬を促したか、それとも憲法改正や消費税増税に絡めて解散同時選挙に持ち込む戦略の密談であったか。
 三国志演義の桃園の儀よろしく義兄弟の契りを結び、ともに戦うことを誓ったか、それとも薩長同盟に国民が持つ正義のイメージを結び付けて国政奪取をシナリオ化する謀議であったか。実は、声掛けは前原氏ではなく小沢氏が前原氏に持ち掛けたというのがこの会合の実態ではないかと推測するが、はたして真実はいかに。
 強気な口達者でなる橋下さんはトランプに重なる部分もあり、同タイプの元首が各国で実現していることから、マスコミが話題性を高める役割を発揮すると橋下野党に浮動票が大きくうねる可能性は十分考えられる。それが日本の未来にとってどうなるのかも含めて、謀議の中身は神のみぞ知るである。

No.3005 延長国会はじまる

2018.06.26

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 梅雨の合間の快晴とはいえ、こうも蒸し暑いと思考のみならず行動も鈍る。これからの三ヵ月に向けて覚悟と対策をせねば・・・。
 
 熱戦繰り広げられるサッカーとは異なり、野党が一方的に熱くなっての国会論戦、あいかわらずの凡戦でしかない。モリカケ問題をとりわけ詳しく報道するのはJチャンネルとニュースステーション、つまりどちらもテレビ朝日である。しかし、新しい情報もなく、ただただ証人喚問を叫ぶ野党に辟易している国民が増えつつあることを理解出来ないメディアでいいのだろうか。
 今日、WillとHanadaの8月号が発売された。どちらも興味のつきない見出しであふれている。国政に関しては、
「拉致解決の障害 辻本清美・朝日・河野洋平」阿比留瑠偉
「拉致は憲法九条の被害者だ」古田博司、藤井厳喜
「我、断固麻生太郎を弁護する」北村晴男
「安倍さんは戦後最高の総理だ」足立康史
「安倍総理 限界を突破せよ」上念司
「野党共闘は共産党の隠れ蓑」梅澤昇平
などが目を引くが、それとは別に朝日についての特集が賑やかだ。
「財務省文書改竄報道と朝日新聞 誤報・虚報全史」という書籍が売れているというのもさもありなんといったところである。反自民、左系思考の方にとっては煮えくり返るところであろう。
 つまり、2誌は総じて、今や新聞・TV・週刊誌はウソばかりだと言っているのだが、なぜにこうなってしまったのだろうか。いくつか考えさせられることはあるが、悪しく変わった部分は社会的にすでに大きな影響を与えているとも言え、良き昔に戻ることは困難ではないかと感じる面もある。
 その中でも、とくに感じるのは野党の貧困な政治見識である。この点については、どんどん悪くなるほっけのなんとやらで、安倍総理一人を追い落としたい一念で戦いを挑むことしか考えていないようだ。とくに野党第一党である立憲民主党の幹部議員の発言に建設的なものを感じたためしがない。「延長したことを後悔させてやる」「証言と矛盾する証拠が出てきたので議員証言法違反で告発を考える」といった枝野党首の発言からは、働き方改革、IR法、TPP、安全保障、災害対策といった重要案件を国民の目の前で論戦を張るのではなく、意識的かどうか隅に追いやっているとしか感じられない。とにかく安倍総理を退陣に追い込むのが目的のようだ。その先にあるのは政権奪取ではなく、安倍さん以外の人が総理になれば自民党政権が続いても良しとしていると推測するが、当たらずとも遠からずではないだろうか。もとより、支持率を見ても政権奪取が可能とは言えない状況でり、共産党との連立など国民が望むべくもない。理由は安倍総理の信念である憲法改革への道筋を絶つにはその当人を絶つということであろう。安倍晋三という政治家の憲法改革への信念の強さに不気味さを感じているということである。安倍さんが総理で無くなったら憲法改革は永遠に遠のくという世評があることからも、改憲阻止のためには安倍落ししかないとの理解である。その先の総理は石破さんでも誰でもよいのだ。
 枝野氏の左傾化はかなりのものとの世評もあり、立民が共産党の本丸を奪いかねないという評価はまんざらはずれた考えではない。そこに辻本清美の存在も関係しているということかもしれない。

 話は戻るが、WILLやHanadaではトランプや米朝会談についても多くの論者が語っている。小生は、トランプと米朝会談の評価については時期尚早で、判断にはまだまだ時間をかけるべきと見ている。その理由は金正恩の人間評価に変化を感じないからである。極悪非道の国民思いのかけらも感じさせない人物の言動をそうそう簡単に信じられるわけもない。今、西郷どんで兄斉彬の精神に到底及ばない島津久光が国父と自称して徳川慶喜の怒りをかっているが、金正恩を天主様、殿下様などと国父扱いしている北朝鮮人民が哀れでしかない。世界の実情も知らされず、作られたような笑顔で天主と崇める北朝鮮人民の幸福度は不幸福度の裏返しではないかと思えてならない。北朝鮮国内の変化が見られなければ、それは世界の舞台に躍り出る北朝鮮という評価にはつながらない。したがって、非核化のあとの民主社会への情勢変化を見届ける必要があると確信するのだが、中国の属国になりかねない状況を考えると果してそれもいかがなものかと思う。なぜなら、金正恩の中国に対する接し方がまるで習近平の手下か子どものように見えるからである。

No.2957 2大政党制は実現遠し

2018.01.17

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 野党の統一会派を進める話が五里霧中の状態だ。民進希望両党の執行部協議でいったんまとまったかに報道されたが、民進の今日17日の両院総会で「見直す」という方向になった。それを受けて希望は今後民進との会派調整には応じないことを決断した。なんともていたらくな執行部協議であったわけだが、協議の以前に党内調整をきっちりしていないことが露呈したということだろう。
 希望の玉木代表もしかりだが、民進の大塚耕平代表も前代表の前原氏同様大変な時に代表になったものだ。まとめる力を持たないのか発揮できないのかは不明だが、議員個々のメンツやプライドが交錯しているのは間違いない。もっとも、政治理念、公約の面で異業種交流のような流れ・・・つまり異思想統一の野合会派を拒否する議員はまだましか。
 民進に属する14人の無所属議員の多くも岡田リーダーの思いとは別に立憲民主におもねる議員が多くまとまりを欠いた状態にある。もとより排除の対象にされたという怨念が残ったまま統一会派に向けた協議を進めたことに無理があったのだろうが、政治の世界とはこのように心根がさっぱりしない面が多分にある。それがために自民1強にくさびを打つという大前提が崩れてしまうのだから。低次元な縄張り意識とも感じられ、国民どころか支援者の思いすら共有できない姿と言われてもやむを得ない。

 高みの見物を決め込んでいる立民は、排除のいきさつでやむなく出来た政党で、そこに判官びいきなる特有の有権者意識が働き、実績皆無の新党にもかかわらず数的に躍進した。それにより他ニ党よりは思想主義的にまとまった状態にある。とはいえ保守などと意味不明なことを国民向けに枝野代表は口にするが、その実態は安保反対、改憲反対の完全左派思想の集団である。考えれば東日本大震災発生時の菅政権の集約型かつ旧民主党を引き継ぐ政党と言え、新党ではないという見方も出来る。
 前述の排除の関係から希望との会派は考えていないとし、現状は民進離党組からの復員確保を前向きに受けるといった状況であろう。
 野党のこうした状態は自民1強に拍車をかけることになる。嫌自民、嫌安倍の考え方の方は眉をしかめることだろうが、私は最近、政権交代は自民政権内で総裁選挙による総理交代が政権交代という実態でいいのではないかと感じている。総理総裁候補に多種多彩な人物が名乗りをあげるのであれば、それはすなわち政権交代と同様という見方である。安倍さんが石破さんに代わったら立派な政権交代ではないか。自民支持者にも安倍さんは嫌いだが石破さんまたは岸田さんならいいとか、兎に角安倍さんは飽きたという人がいるかもしれない。まさに政権交代を意味しているとかんじるのです。基本は保守本流である自民党政権を維持しながら短くて3年の首相任期をもって、時の首相の舵取りによる国政運営を担ってもらうのが日本の政権交代という政治の姿でもいいのではないかと・・・今の野党の姿を見るとそう思えてきた新年早々の国政への思いである。

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