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No.2824 難しい外交に安易な批判

2016.11.20

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 安部総理が地球を飛び回っている。日本の真摯な国際協調方針を伝えると同時に、中国の資金力にまかせた対外援助戦略には思考的に覇権という毒があることを間接的に伝えんがため?の各国首脳との親近外交は、まさに安部総理ならではの信念にもとづいた行動と感じている。また、こうした行動に対して相手側も応じている状況は、安部総理がそれなりの信頼感を得ているからにほかならない。
 これに対して、民進党からわけのわからない批判が繰り出される状況に深い憂慮の念を禁じえない。

 同じ日本人かと感じる批判の代表例の2者3例である。
1.「TPP採決は恥の上塗りだ」これは民進党代表の蓮舫発言
2.「トランプとの会談は朝貢外交だ」同党代表代行の安住淳
3.「公務での行動だから会談内容の説明責任はある」これも安住淳

1.については、昨日ペルーで行われたTPP参加12ヵ国会議で、オバマ大統領は批准に向けてできる限りの努力をしたいと語り、他の国々は早期締結を目指すことで合意したという。日本が国会決議をしたという事実は、参加国に対して勇気と信頼をもたらす結果になったことが国際会議の場で証明されたではないか。
 トランプが大統領になったからというだけで、TPPをあきらめたかのような姿勢を見せたら、それこそ、諸外国の目はそれぞれ異なる批判の目を日本に向けていた可能性もある。最も避けるべきは、対米外交に弱腰で、かつ今回のトランプ当選を疑惑で迎えていると思われることではないだろうか。
 蓮舫代表の言う「最初の恥」と「上塗りの恥」は熟慮足らずの批判としか聞こえない。そもそも、何を指しての恥とするのかよくよくわかりにくいのだ。

2.この発言はトランプに対して膝まづき外交だと言いたいのだろが、まだ就任前の一個人の立場で私邸に招いての会談とは言え、世界の首脳で真っ先にトランプが会談に応じたというのは安部外交の真骨頂を示すものではないかと思う。
 そして、この悲しすぎる朝貢外交批判は、かの中国でも同様の批判をしているということを考えると、元代表鳩山由起夫氏ばりの中華思想に冒された民進党の実態を示すものと考えられる。蓮舫代表の国籍問題も未解決の状態で、その本人が恥の上塗り発言をすること自体、逆に恥だらけの民進党と厳しく申し上げておきたい。

3.たしかに総理として赴いている以上公務ではあるが、だからといって、今回の会談を国内外に公にすべきことかどうかは、普通に考えてもありえないことと理解出来る。
 あくまでもトランプ氏は現在私人であり、実態は人事も確定していない状況にあって政策の全体像すら見えていないのだ。アメリカはまだオバマ政権が現実であり安部総理がこの非公式会談の内容をあれこれ明かすことはオバマ政権に後ろ足で砂を欠けることにもなりかねず、それは安部晋三という政治家の信頼問題に関わる。
 また、別の角度からみればマイケル・フリンという次期安全保障担当大統領補佐官に起用されるとみられる人物が同席していた会談だったことを考えると、国家機密に近いものがあったやもしれぬ。いずれにしても説明責任をこの時点で求める稚拙な批判を野党第一党の代表代行がすることは、この政党の政治力が問われるというものである。仮に説明しないことを見据えての国会戦略として総理への攻撃材料にする意図があるとするなら、今そのような戦略が適切かどうかが理解できないオール批判型政党との判断もやむを得ない。

 17日にトランプ、20日にプーチン、来月15日に再びプーチンといった矢継ぎ早の世界トップ2との会談設定は、賞賛に値する。まさに安部総理だからできたことであろう。
 上から目線で、金にまかせた外交戦略ありきで、安部総理への笑顔も欠かす習近平にすると、今後の安部総理への対応を見直さざるを得ない状況になることを期待してしまうほどだ。

 ともあれ、野党の立場として政権あるいは総理個人への批判は相応の場においてはあってしかるべきだが、国益を優先することも大事であって、なんでもかんでも「いーけないんだ、いけないんだ」が如く叫ぶ子どもじみた幼稚さを示すのでは、3年半に及んだ民進党政権の悪夢から国民は覚めることがないことを理解すべきである。
 批判政党から提案型政党への変貌を目指すといったのは、蓮舫代表ではなかったのか。であれば、安部総理の素早い外交戦略を、まずは褒めるくらいのほうが国民目線からは民進党は成長したなと感じてもらえると思うがいかがなものだろうか。

No.2818 けだし名言「一寸先は闇」

2016.11.02

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 前号に関連していくつかの投書をいただいた。要約すると、現状の幸手市の状況には残念かつ悔しい思いはすれど、(枝久保が)言うとおり民主主義という制度にあって幸手市の民意の結果と理解するしかない。つまり、納得出来る幸手市政にあらずと投書は語っているのだが・・・。

 万が一、財政にひずみが出たら、その時はという思いが秘められているようにも受け取れる内容である。
 最も、その前に政治的スキャンダルが表面化すれば事情は大きく変わるだろうが、それを期待するというのも人の心根としての壁を感じないではない。
 昨年の市長選が61票差だったことと、今後の3年で幸手市の状況は更に低迷するとの思いから、現状リコールを模索する雰囲気も感じないではないが、13年前のそれと比較してマグマの質も熱量も遠く及ばないというご意見も綴られている。
 私も、これについては現状では同じ思いしかない。
 とりあえず、お知らせまで!

 さて、選挙によってその後の道筋が大きく変貌するのは世の習いだ。
クリントン落選の可能性もとなると世界の動揺は隠せない米大統領選。 
都知事選後に小池劇場が幕開けしたが現状過去の膿の処理に暇がない東京都。
代表選で誠実さに欠ける蓮舫選択をした結果、解党の噂まで出てきた民進党。
支持率10%台と大統領への国民感情が大悪化した韓国。
これ皆、女性の政治家に関わるものである。

 オリンピック直前に罷免されたブラジル大統領しかり、イギリスのメイ首相もEU離脱作業で今後2年間は苦しい牽引がつづく。メルケル首相も難民受け入れとEU経済の停滞で長い政権運営に影が生じている。
 女性政治家苦難の情勢が世界各地にこれほどある。

 そういう意味では、長い監禁疑獄を経て、今や国をリードする立場を得た不屈のアウンサンスーチー女史がミャンマーの成長にとって徐々に力を発揮しつつあるのは頼もしいと言ってもよいのだろうか。
 今日、安倍首相との会談の場が設けられているという。

 現代民主主義とは、市民平等の選挙権、言論の自由、議会制、議員代表制などを基礎として成立しているわけだが、昨今の動きからは、マスコミが発信する風やムードに流される投票心理によって、とんでもない結果がもたらされることが少なくない。
 たとえば、今のアメリカだが、FBIという治安取締部が長い選挙戦もあと10日と迫ったところで一方の候補に不利となる状況を発信した。日本では考えられないことがアメリカでは起こるものだ。選挙妨害にも近いことを警察が表沙汰にする。確証はないのだから、普通であれば捜査は水面下で進めるはずだが、FBIの長官が共和党員だからというのではおおらかなアメリカからは程遠い。

 日本では、6年前の国政選挙でマスコミが大活躍し、政治の激変を招いたが、選挙の影響が良くも悪くも出るのはトップを決める首長選挙が筆頭である。これほど選挙の影響が如実に出るものはない。
 政治の一寸先は闇というのは政治の幅広い場面で出くわすものであり、けだし名言だと思う。その闇を生む確率は、選挙という場面に多く発生するようだ。
 それだけ昨今の選挙が、清き1票が持つ期待以上に、虚しさを感じる局面が多いということなのかもしれない。

No.2813 市政臨時特別説明会(仮称)

2016.10.17

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 幸手市議会9月定例会に請願1件が提出され、建設経済常任委員会に付託された。
 この結果については、議会の通例としてさもありなんという推測の範囲、つまり否決となったが、7,521筆の署名が集まったこともあり、委員会傍聴は盛況だったようだ。予算の執行に対して疑問を持つ市民が多いとわかっても市側の考えは頑なだった。通常はこれであっさり収束となるのだが、今回の問題は後述するがしっかり後にまでつながっている。
 

 約28億円を繰り出して幸手橋上駅舎を建設するという現市長の選挙公約への強行性に対して、今の幸手市における優先課題は別にあるということと、そもそも資金的に国からの補助金が予定の半分に減額され、その分一般会計から繰り出すという、いわゆる予定外の身銭を切る乱暴なやり繰りが、市民の問題意識を駆り立てるのは当然のことであろう。

 私もいたるところで言いもし、書いてもいるが、駅舎事業をやめるべきだとは考えていない。新駅の利便性を供与出来るのは幸手市民であると思えば、行政としても本望な課題解決ではある。しかし、そのために30億近い資金投入をするというなら賛成はできないということなのだ。
 私は10億から15億でも新駅舎に建て替えることは可能だと考えている。今、当初予算と異なる肥大化が問題となっている東京オリンピックのミニ版のようなことと思っていただければよいだろうか。

 まずは10mもの太さは半分にして東西自由通路を造ること! 駅舎一体型でなくともいい。そして、西口整備事業に遅れを出さないことが肝心だと考えている。これは幸手市一の危険道路として有名な、県道幸手久喜線の拡幅事業に直結していることを忘れてはならない。ところが、今回の計画変更では、なんとこの西口事業に14億円の予算減額をもたらしてしまったのだ。

 駅舎一体型の東西通路の幅を10メートルとしているが、なぜそれほどまでに広い通路が必要なのか。しかも5メートルにしてもわずかな減額にしかならないとの説明らしいが納得のいくものではない。
 大宮や仙台の駅ビル一体型の通路は外に出ればペデストリアンデッキという屋根無し通路である。幸手駅の東西自由通路も屋根なしでいいではないか。財政余力がついたら屋根をつけるという考え方があってもいい。
 そもそも、こうした見直し自体をしないと言うのだから、そこにも疑問、疑惑を感じるのは当然である。見直しをしたくない何かがあるのかと。

 それと、東武鉄道がわずか6千万円の資金しか負担しないというのも理解出来ない。もっとも、東武動物公園以北の日光線は観光的経営指針に変化している。それが証拠に、スカイツリーラインと名付けられて以来、幸手市に止まる通勤通学本数が少なくなっている。これも問題だ。 

 40年、50年前から行政が街の発展のために必要不可欠な重要事業に取り組む姿勢があったならば、幸手市では街の顔である駅周辺開発や道路事情はもっと違った方向性を街にもたらしていたはずである。しかし、それは平成の時代に入ってまもなく手遅れに近いこととなっていく。
 その意味では、政治が街を創り、造るのは間違いのないところで、時の執行権力が真摯に行政課題を優先順位に基づいて進捗させていたならば、幸手市の現状はまったく違うものになっていただろうとは多くの見識市民が言うところである。
 タラレバは言っても仕方ない後悔用語だとわかっていても、逃した魚か、あるいは逸した好機であったかは別にして、これまでの積み残しはやはり次世代に大きなツケとして残ったということではないだろうか。

 さて、この橋上駅舎事業の見直しを求める運動は、下記のように渡辺市長の説明を受ける場を設定するに至った。質問項目を市長あてに提出して、それに対して市長自らが対応するということのようだが、香日向小学校格安貸与問題での3度の説明会で紛糾したという過去からも、どういった説明会になるやら予測できない面もある。
 
 ひとつだけ、請願者側の論拠にこだわりすぎと感じる点がある。
 「駅舎に大枚の資金をつぎ込んでも、結局駅舎は東武鉄道のものになる」という主張である。確かに、厳しい財政の中で無理に強行する新駅舎建設ゆえに、それが東武鉄道のものになるというのは、納得のいかない感覚になるのは理解できないではないが、請願駅という宿命にあって、いつの世でも、どこの街でも駅はその路線を運営している鐵道会社の管理下に変わるのは当然のことと言える。その後の維持メンテナンスは鉄道会社事業となるであろうし、これを嫌悪していたらいつまで待っても永久に新駅は出来ないことになると思うのだが・・・。

 前述したように、駅を利用するのは当該自治体の市民であるから、市民の生活向上を意図した事業を自治体が進めずして民間鐵道会社が進めるはずもない。もちろん、駅舎新築が駅利用者の増加につながる、つまり地域人口が増えるのであれば鐵道会社にとっても魅力はあるわけで、援助度合いも違ったものになる可能性はあるだろうが、今の幸手市がどこまでその魅力を有しているかということに尽きる。
 そこは、東武鉄道と幸手市の交渉次第でもあろうし、首長の営業力に関わることでもあろう。
 

(仮称)市政臨時特別説明会(正式名称がわからなので)
日時:10月28日金曜日 午後7時~
場所:コミュニティセンター集会室
出席予定:市長および幸手市執行部
 もちろん、市民であればどなたでも参加出来るそうです。
 

No.2810 市政30周年の不思議

2016.10.10

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 今号は地元幸手市に関する内容。いささか???と感じることがあってのことで、人によっては、また言いたいことを!と思われる内容かもしれないし、逆に同じ感覚を持たれる方もいるやもしれず・・・ただ、率直に感じるまでのことを書いているとご理解いただきたい。 

 広報さっての10月号が配布されて10日ほど経つ。この間、街中で多く耳に入るようになったことに、あの表彰はいったいなんだ?という声。やはり、ああして同じ市民である人々の名前が紙面に羅列されると、隅から隅まで目を通すのは人間の条理。別に羨望嫉妬の思いがそうさせるものではなく、自然と自分の知ってる人がいるかな程度のことで指差し確認的に目を通すことになる。 

 で、何が問題かというと市政30周年にあたり、市政の発展に貢献した人を表彰するという、その結果に対して、どうしてあの人がいないのという単純疑問や、この人がいてなぜあの人がいないのといった相対性疑問が誰の頭にも浮かんだということなのだろう。
 市役所にもそうした声が届いていると思われる。


 私も同様の思いは紙面を見て感じた。私もまあまあ知ってる範囲の議会関連で言えば、議長をされた方、5期以上議員をされた方でも名前のない方がけっこういたし、他の職性でもそこに記載がないがゆえに、かえって鮮明に名前が浮かんだ人が数人いる。
 そこで感じたことは・・・

1、選考委員会的なものを設置して、広い角度から検討したのだろうか?
2.毎年10月1日に行われている幸手市表彰式との兼ね合いはどう図ったか?
3.同じく消防特別点検行事での表彰とのバランスはどう図ったのか?
4.そもそも表彰対象の職性別に選考基準をどのように設けたのか?
5.同じ人の名前が複数記載されているのはなぜなのか?

 表彰を受けた方々は、確かに功績を認められる方なのだから私に何の思いがあるわけではない。あるのはただ、おめでとうございます! のみである。

 だが別の観点から感じるのは、例年恒例となっている表彰式と、たまたま同じ10月1日に市政のアニバーサリーイベントを企画して、その中に表彰を組み込んだ今回の手法は、はたして適切だったかどうか。中には、過去の表彰式ですでに表彰を受けた人たちが、再度選考されているが、今後も10年きざみで表彰するのだろうか?
 時の首長の判断次第ということになるのだろうが、こんな小さな街にもポピュリズムの風潮が意図されているとしたら問題を感じないではない。
 さて、幸手市民の皆さんの感覚はどういったものだろうか?
 

No.2809 見事なまでの開き直り発言

2016.10.08

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 民進党代表 蓮舫氏の二重国籍問題に関する無責任かつ白々しい発言を、今行われている国会での発言とリンクして考えると、その人間性に特有なものを感じざるを得ない。

 実は、性格は元々良くないとの評判も聞くが、瞬時の言葉のキレ、切り返しの能力が有権者の眼差しを惹きつけるのだろう。党にあってもそうしたディベート能力、演説力を認められてのことで、人間としての魅力が今につながっているとは思えない。
 口撃的に過ぎるため、過去の発言との間に矛盾を生じたり、相手を攻めている中で、いつのまにか自らへのブーメランにつながっていることが多い。
 口は禍の元の典型のようだ。

 過去と現在の発言の整合性を材料に相手を攻めるパターンは、自らのことにはおかまいなしの身勝手さを今の臨時国会で多々感じる。知力、弁力に長けているとの自信があってのことなのだろうが・・・。
 ところが、「見事なまでの変節ですね」「逃げないでください」といった言葉は、正に自分を戒めなければならない言葉だということに気がつかないようだ。
 

 つまり、国籍問題で二転三転の嘘の上塗りをし、パスポートその他で真実の盲点をつかれると記憶の曖昧さを持ち出す。さらにそれについて、維新の会に説明責任を問われると「極めて個人的な問題なので、これ以上の説明をするつもりはありませんと見事なまでの開きなおり反論。
 ならば、ここまで苦し紛れの説明を繰り返してきたのはなぜ? 最初から極めて個人的な問題として相手にしなければよかったではないか。
 

 これこそ「見事なまでの変節」であり「逃げさせていただきます」ではないか! 我田引水という四文字熟語そのものだ。
 国会、県会の議員は資産状況さえ公に示さなければならない立場にあり、極めて個人的という表現は、疑惑を突きつけられている現実に通用しない言葉である。あれだけの騒動があの一言で終止符を打つのであれば、なんのための騒動だったのか。
 こういうことを平気で実行してしまう人が、野党第一党の代表であり、総理になれる資格を有する人なのだ。
 こんなことがわからず国会発言をしているようでは、知力にも疑問を持たなくてならないし、国会議員としての資質に関わる問題だ。
 

 数号前に書いたが、富山県議会民進党の政党交付金不正受給が明るみになったときのインタビューで「政党交付金は国民の信頼の元に支給されている・・・」の発言があった。国民に配慮した物言いのつもりだったろうが、政党交付金しかり政治家の報酬についても(私もいただいていた立場ではあったが)国民の信任をはたして得ているのだろうか? 常にポピュリズム意識があるがゆえの言葉選びのミスで、オンブズマン関係者などからは眉をしかめられる発言である。
 どうもこのご仁は自信過剰ゆえか言葉に酔いすぎ、上滑りすることが多いという特徴がある。

 しかし、最後の見事なまでの開き直り発言に、マスコミはさしたる問題にはせず、自民党も追求しない様子はなぜなのか?
 国籍と議員資格の問題は、人道博愛、差別、ヘイトなどとは次元の異なる話なのだが、それに配慮したのか、それとも自民にも小野田議員が登場したことによるものなのかは不明だが、国益のための国会の在り方が、未来の日本にも関わるという観点からしっかり対処しておくべき事案であることは間違いない。
 

No.2806 ダブルTで話題持ち切り

2016.09.30

 空模様がなかなかすっきりしないが、世の中はもっとすっきりしないことだらけだ。横浜の大口病院大量死亡事件も恐ろしい事件だが、今回は政治に関わるジメジメした話題を取り上げる。

 掲題のダブルTとは東京都と富山県のことを私が勝手に指している。
 小池都知事の話題が多いこともあるが、豊洲問題はパラリンピックの注目度をかすめてしまった感がある。相変わらずのマスコミの偏重報道も影響している。しかし、この問題はいったいどこに落としどころがあるのかと感じる。
 日本一の食の台所の環境汚染問題である以上、解決策は日に日に困難をきたしつつあるように思えてならない。都議会の政党会派による我こそが正義と言わんばかりの調査活動にマスコミも対応していたが、もはやそんな領域を通り越している。自民党都議団の静寂ぶりも異様で、逆にここに至るまで大いに関係しているのではないかと勘ぐりたくなる。いや、ないはずはない!

 昨日、2020オリンピック問題で小池知事と森喜朗組織委員会会長が対峙した。知事は森氏の言葉に直接反応することはなかったが、森氏は「1兆、2兆、3兆と豆腐ではあるまいし・・・」という知事の言葉に「ああいう立場の人が(そういうことを)言うべきではない」と早速牽制した。言って欲しくないことを言われたということなのだろう。

 調査委員会のオリンピック準備委員会に対する指摘は「社長も財務管理者もいない組織」という言葉にはさもありなんとも思いながら、実は驚いている。
 いい加減な積算により、当初7340億円台で計画されていた予算が、今や2億円にのぼり、最終的には3億円にまで膨らむと予測されている。
 税金が湯水のごとく湧き出るとでも思っているのだろうか。
 税金を対象にした「壮大などんぶり勘定」が許されるはずもない。

 富山市議大量不正問題では昨日11人目の辞職議員が出た。芋づるのように出るわ出るわ!
政務活動費不正の対象は市政報告会関連のものが多かったが、架空出張というのも表面化した。つまり、多くの議員は各種のごまかしを総合的にしていたのではないかとの推測も成り立つ。自民党系議員が多いのも特徴的であり、同じ党員として残念に思う。

 富山県議会でも民進党による政党交付金1,400万円の不正受給が公になった。これに対するレンホー代表の発言がまたまた不自然だ。というのは、その出だしで「政党交付金は国民の信頼の元に支給されているもので・・・」ときた。
 揚げ足を取るつもりはないが、レンホーさんはボキャブラリー能力によほど自信があるようだが、言わなくてもいいことを言ってしまうタイプでもあるようだ。
 一般人とは違うのだから、もっとひとつひとつの言葉をじっくり吟味して口にすべきだ。過去に何度もそうした実績があるのはマスコミも報道しているのだから。

 政党交付金は国民の信頼を伴っているだろうか。その額を政治活動に必要だと理解して許容しているだろうか。そうではない。これはあくまでも制度的に国会で決められているのであって、国民が認めている実態はない。
 国民の政治不信は、政党交付金や政務活動費のあり方をはじめ、税金に対する議員の認識に源を発しているのではないか!
 このことに政党代表たる政治家が思いを馳せることがないのは驚き以外の何ものでもない。

 いずれにしても、不正発覚にあたり辞職すれば問題解決ではないし、追求の手が緩むことがあってはならない。刑事事件として取り扱うくらいでないとこの問題は無くならないだろう。
 野々村兵庫県議事件は全国の議員にとって反面教師となるだろうし、そうすべきだと過去ブログで書いたものだが、それも出来ずに「せこい議員」で有り続ける場合、鉄槌を加えるしかないではないか!

 

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