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No.2996 人間教育は自らに課せ

2018.05.19

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 日大アメフト部の暴力タックル事件が社会問題化し、さらには刑事事件化しそうな状況にある。事が起きた試合は6日だったが、ニュースに取り上げられたのは数日後で、その後徐々に取扱い時間が加速度的に増加する状況となった。小生がネット動画を見てブログに書いたのは15日だったが、とくにその翌日からは連日連夜のワイドニュース材料となっている。そして、今日19日の午後、試合から13日目になってようやく日大監督が関西学院大の監督、選手、保護者に謝罪に出向いた。
 この問題が何故これほど大きな報道対象になったかと言えば、小生も指摘した通り加害者と被害者の立場がはっきりしていること、つまり犯罪行為にもあたるもので立派な刑事事件ではないかという点にある。なんども映し出されるタックルシーンでは、関西学院大QBが自動車の衝突時衝撃度実験で人形が倒れるのと同じような倒れ方をしている。これは気も身体も無防備状態で後ろからタックルされることがいかに危険かを示している。意図的であれば立派な傷害事件として立証可能なあるまじき行為なのだ。
 さらには、加害当事者側に幾つかの段階的な対応不足があることから、スポーツマンシップを問うどころか根底にある人間性が問われているということにあり、世論の評価はこの二つに尽きると思う。
1.「1プレーでQBを壊せ」
  (真偽は明らかではないが監督がしたとされる指示)
2.最初のプレーで交代させるなどの采配をしなかった。
3.退場を宣告された選手がベンチに戻るも注意は無し。
4.報道後も雲隠れという表現が出るほど監督は表に出なかった。
5.今日の謝罪後の会見で「一切弁解はしません」と発言。
6.状況説明もせず監督辞任を責任の対象に事件の鎮静化を図るかの姿勢。
7.相手が求める詳細な状況については後日文書で回答するという。
 語り部によってはタックル選手の今後の人間教育に目を向けるが、それ以前に日大側は為すべきことをしていないとの世論が大勢を占めており、それが憤懣やるかたないといった一般評価につながっている。結果として日大の対応は後手に回っているというのが実情である。今日の監督の会見で「一切弁解はしません」というのも、弁解じゃなく事情説明をすべきであり、その説明責任から逃れるべきではないのだ。弁解などは誰も聞きたくないはずで、どうもこの監督はボキャブラリーが不足しているのか使い方がわかっていないようだ。こうしたことも相まって、詫びに行くのにピンクのネクタイはないだろうと個人の好みまで揶揄されてしまう。世間とはそういうものだ。恋は盲目という言葉があるが、その逆も真なりということである。
 関西学院大は刑事告訴も視野に入れているという。対応がグズグズすればするほどいずれこうなる可能性は十分考えられた。
 大学生までのスポーツには、間違いなくパワーハラスメントが存在していると小生は思っている。実際にそう感じる指導者を何人も見てきた。指導という言葉の名を借りて、自らのストレスを発散させているかのような指導者は案外に多いと思っている。怒ると叱るは違うが、この違いは言い方とか諭し方の有り様もあるが、それ以上に求められるのはフォローの有るか無しかである。怒りを目下にぶつける場合、激情した照れ臭さによる体裁つくりのフォローはあっても心からのフォローがない。精神的冷静さを欠いて言葉をぶつける怒りの指導は指導ではない。目下の心に恐怖感を植え付け、平常心を奪い、屈服させるいわば催眠術的指導法とでも言うべきだろう。
 日大アメフト部の内田監督は大学の常務理事で人事担当責任者だという。これも職員であるコーチが逆らいにくい状況を構成している。だいたい、人事や予算を握った責任者の人間性によっては組織が向くベクトルは全く異なる。さて、財務省、経産省、総務省、文部省、防衛庁といった日本有数の知能を誇る世界はどうなのだろうか?