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No.2973 ポリティカル・コレクトネス

2018.03.01

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 社会正義・モラルというテーマに関わる前号とは異なる、政治的正義・モラルという観点において、本号のタイトルについて述べてみたい。

 政治家が、不謹慎・不適切言葉で陳謝どころか役職辞任や議員辞職に至る事件は後を絶たない。しかし、そうした言葉もよくよく考えてみれば、「本来はその言葉は正しい面もあるが、一部の関係者の心を傷つけることにもなるので口にしてはならない言葉」ということもあるかと思う。そうした場合、その発言者の人柄や頭脳レベルまで問われるものではなく、あくまでも政治家としての資質に問題ありというパターンである。
 ところが、最近あった政治家の発言で、心情的にどうにも許すことの出来ない暴言かつ人間性を疑う非常識発言がある。

◆西宮市長による新聞記者への「殺すぞ!」という恫喝発言
 この出来事では、当初辞職の意思はないとしていたものの、議会が市長の退職金30%削減案を提案したところで、本人が突然辞任届を提出し、議会初日から姿を見せることはなかった。辞職が全会一致で可決され退職金の減額案は審議からはずれることとなった。市長本人は議会が退職金を減らす計画をしていたことを辞職の理由にしている。その上で「市政に瑕疵なく、罪を犯しているわけでもないのに、議会が退職金の議論をすることは道理がない。市長と議会は対等で議会が市長に懲罰を課す立場にはない」と、自らの発言を反省することなく公然と議会批判を綴っている。首長の退職金は1期ごとに支払われるのが通例となっている。この市長は1期目で、約2800万円の退職金が予定されていたという。2期目に当選する見込みがないことから退職金の全額受領を優先したとみられている。犯罪として立証できるかどうかは専門家ではないのでわからないが、「殺すぞ!」という発言は威嚇暴力の範疇に入る可能性はないのだろうか。辞職直後には、すでに私人ゆえマスコミには一切対応しないともしており、政治家としてのケジメも示していない。
 なぜ、こうした政治的矜持も持ちえない、非礼な人間性を有する人物が人口49万人の都市の首長になったのか? なれたのか? 政治の低下はこうした例を参考に「有権者の目」にも焦点をあてるべきだと私は思う。ついでに言えば、こうした候補者には経歴詐称などの選挙犯罪などが隠れていることも考えられるのではないだろうか。

◆さいたま市の市議による「首吊って死ね!」発言
 これも首を傾げる低俗な言葉だ。しかも委員会での職員答弁者に対するものであるから場も重たい。当然と言えば当然のこととして、議会から懲罰動議が上程され、同時に、自民党市議団からは辞職勧告決議案が上程された。後者は議事延期の動議に対して賛成多数で採決は行われなかった。この二つの上程案の取り扱いには議会という場における当該議員との関係にかかわる特殊な主導権争い的駆け引きが見え隠れするが、なかなか説明しにくいことなのでここまでにとどめたい。
 どのレベルの懲罰になるかはわからないが、本人は「委員会中の発言なので決定に従う」とひとまず反省の姿勢は見せている。ここは西宮市長と大きく異なる。
 自分は基本的に人間性善説であり、信ずることが人付き合いの根本だと思っているが、どうにもならない悪玉精神の持ち主がいるということも否定できない事実がくやしくて悲しい。

ポリティカル・コレクトネスとは・・・・・
    「政治的に正しい言葉遣い」
 という大義を持ち、社会に存在する問題に対して厳格な公正・公平・中立を求める用語である。

 その上で、政治不信と政治家不信はしっかり区分けしないといけないと思っているが、有権者が候補者を正しく見つめ、見分ける手立ては、候補者選択条件やその心理的観点から難しいと感じている。