記事一覧

No.2877 腰軽と口軽な政治家が多すぎる!

2017.04.30

 ストレートなタイトルで恐縮だが率直な私の思いである。同じ思いを共有する国民が多いのではないだろうか。これほど政治家不信が続くと18歳にまで投票権を下げた意味があるのだろうかと感じる。昨年の参議院選挙から施行されたこの新制度は、施行前から主権者教育の必要性が話題となったが、あまりの政治家の劣化がその方向性とかなり矛盾する状況になっているのは否めない。主権者教育には政治が国民に夢を与え、夢を現実にしてくれる政治家の姿が前提にあってこそなのだが今の政治は公約では立派なことを言うがその後に問題がある。自民中川、民進後藤、民進辻元・・・いやいや 

 どこぞで見た額縁に書かれていた格言。
「その一言が心を傷つける、ほんの一言が心を暖ためる」だったかと記憶しているが、まさに辞任した今村復興大臣はこの格言を戒めることが求められる。言った主旨が違うとかはこうした場合理由にはならない。つまり言葉の選択を間違えたわけで被災者の心に寄り添う大臣の立場にあらずの事態をもたらしたのだ。
 FBでも書いたことだが、現代政治家は国語力、言葉力の緻密さに欠ける人では向かない。今の報道体質や記者気質は政治、芸能、スポーツなんであれマイナスイメージにつながる言葉にはめっぽう鋭いチェック力がある。というかそれを競っている感じすらある。ここ数十年というもの政治家の失言・暴言がどれほど世間を騒がせたことか。政治の劣化が先か報道の言葉狩りが先かはわからないが、私はどちらも劣化しているとの思いが強い。
 民主党政権時の震災直後の某大臣の言動の方が今村氏よりひどいとかいう書き込みもあるが、そもそもその程度のレベルでの比較論がむなしいではないか。今村氏は最高学府卒で佐賀県ではかなりの実力政治家との誉れが高いらしいが、それはそれで言葉力の欠如は複数重ねては許されるものではない。記者による感情論への誘導にも負けたという結果でしかない。
 

 変わって小池都知事、私には理解できないのだがこの方には恋は盲目的な都民人気があり、これを後押しする報道支援も見られる。ただ、以前から指摘しているが何事にもはっきりしない、決断しない政治スタイルはいったいどうしたものだろうか。この点での疑問が都民以上に国民に広がりつつあるようだ。五輪会場問題では就任早々予算の観点から疑義を質し、悪評イメージの大物を悪者に仕立て上げるや割安な予算での実現を訴えて他県に話を持ちかけたところまでは大いに受けた。しかし結果は新たなものは生れず、最近ではコストの負担割でまたもや周囲3県の怒りをかっている。
 築地豊洲問題でも結論を長引かせ、補償問題で必要以上に都税を繰り出す状況に都税のムダを省くと訴えた選挙戦との矛盾が問われている。
 この市場問題は都議選に向けて1月の時点では「争点になる」と言い、3月には「他にも重要な問題がある」と変化したものの昨日の新聞では「争点にする」と断言した。迷った結果なのか計算だったのかは不明だが、ここに至るまで結局は都民もマスコミもケムに巻かれ、その最大の被害者は市場関係者とは言えないだろうか。まさか今夏の選挙選の争点の対象にまでなるとは。
 昨日の報道ではこの発言の他に都民ファーストの最高顧問に就任したとあった。どこぞで聞いた肩書きだなあと考えてみたら橋下徹氏にもその肩書きを付けた大阪維新の会があったが、そうした肩書きを受けた以上自民党に籍を置いている小池都知事は自ら自民党離党を言葉にすべきである。自らの進退はお預けしているという主張は除名されることによりマスコミが自民党批判を強め、小池氏への同情論が生まれることを希望的に観測しているのだろうか。こうした演出には長けたところのある方だとつくづく思うが、私は彼女の過去の一連の言動経緯は都知事選以上に投票の参考に活かすべきだと思っている。
 

 民進党都議の離党も雪崩のようだ。長島、細野両議員の行動からは民進党の瓦解もあながち遠いものではないと感じるが、それにしても当選するための自己本位な腰の軽さは政治の信念と乖離しすぎている。身近なところにも似たようなことがあるという意味では今の若い政治家たちの節操の無さを嘆かわしく感じている。長島、細野氏たちの行動から読み取るべきは民進党が保守系にあらず旧社会党と化している現実はある。政治理念が変化した党にはいられないという長島議員の思いは理解できるが、それに追随して離党するなり都民ファーストへの鞍替えをする都議に都民はどのような評価を与えるのだろうか。
 こうしたことが余りにも多すぎて主権者教育のあり方を思うと行き着く答えはなく無常観に襲われる。