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No.2765 何があっても信条・信念ぶれることなく

2016.06.17

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 この号は、我が心理としては複雑な想いで書いている。

 昨年4月に、私と県議選を戦った吉良英敏県議が自民党に移籍するという。まだ不確定情報ではあるが、おそらくこれは確定に至ることだろう。近々何らかの連絡が正式に入るだろうが、吉良議員陣営が自民党県議団に入ることを匂わせているという話を以前から耳にはしていた。

 昨年4月の県議選は、私が自民党公認で2期目を目指し、吉良議員は上田知事を仰ぐ「選択」という選挙会派を名乗っての実質的な一騎打ちとなった選挙であった。
 実際に上田知事が何度となく幸手、杉戸に入り、吉良候補の応援に入ったのは皆さんの記憶にも新しいことと思う。

 その結果として、県議会には新たに「県民会議」という前述の上田会派が10名の議員で設立され、吉良議員は必然的にその所属議員となった。
 それが、1年経過して、突然の離脱、自民会派移籍というのだから、義理人情恩義といった日本人が尊ぶ日本人的心を捨てて、節操のない舵を切ったという評価になるやもしれぬ。しかし、これも政治の世界ということで理解すると矛盾することではないのかもしれない。
 吉良議員が尊敬していると言ってはばからない、師匠である小沢一郎氏の過去の動向が最大の見本となっていることもある。彼も今後の厳しい目に耐える覚悟はできているのだろう。
 

 県政の実情としては、選挙前から知事と自民党県議団はある出来事をきっかけに熾烈ないさかい状態となった。その流れが、自ら施行した条例を破って4期目出馬に方向転換した上田さんに県議団は筋違いを指摘し全面戦争化した。当然、それは今でも続いている。
 思えば、5年前の知事選では自民党県議団は上田さんの3選を支援し、私も幸手地区での遊説の際に、当時の町田英夫市長とともにしっかり支えた経緯がある。それが、昨年7月の4期目知事選では吉良議員が渡辺邦夫市長と一体で支援するという皮肉なねじれ現象となったのだ。これも政治の世界である。

 県議選の結果、上田、吉良双方に生まれた師弟関係に納得する市民もいた。しかし、わずか1年で吉良議員が上田会派を離れる選択をした。まさに知事が好んだ選択とはいったい何だったのか。上田知事の思いは尋常ではないはずである。これほど短期間で自らの元を去るという行為に心中穏やかでないことは容易に推測出来る。
 逆に知事派のほころびは、自民党県議団にとって願ってもないことだろう。

 ともあれ、これで私にとっても大きな岐路が訪れたことは間違いない。
 県議選立候補のいきさつを思い起こすと、人生何があるかわからないという思いが今でも強いわけだが、今またそれに似た思いがしないではない。
 ここに至るまで、政治信条も思想も、枠組みにおいても、ぶれることなく誠心誠意政治活動を貫いてきたし、今後もそこは変わらない・・・政治の世界はまさに一寸先は闇だと実感させられたのは事実だが、なにより、プラス思考が今こそ必要だとも感じている。