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No.2120 ジャイアンツ考「誇りと奢り」

2011.11.25

 スポーツ万歳!  このコラムは随分と久しぶりだ。 
 それにしても、今回は万歳とはいかない。今や次元の低い騒動で球界盟主の座を、間違い無く失いかけているジャイアンツに喝を入れないと気が済まない気持ちでキーを打っている。
 個人であれ、組織であれ、奢りが過ぎると、庶民感覚から乖離するのは必定だろうと思う。
 奢りは百害あって一利無し。
 誇りは一定のレベルであっても良いし、必要だとは思うが、それが過ぎると奢りになるのかもしれない。
 ジャイアンツは、江川問題、桑田問題、ドラフト是非論などなど、奢りがもたらす行為・言動には定評?があるが、あくまでも特定個人がもたらす結果だと考えると長年ジャイアンツを応援してきた純粋な野球ファンにとってはたまらなく腹立たしい。

 奢りとは、長い間トップの座にある者が、いつのまにかしみついてしまい、自ら疑問を感じないまま、世間と接することを言うのだと思う。政治の世界では、過去の自民党にも、今の民主党にもあてはまることであり、企業にあっては枚挙にいとまがなく、奢りが会社の終焉の原因になった例は少なくない。やはり、どんな高い位置に上がっても、謙虚という言葉だけは忘れてはならない。

 現状のジャイアンツにそうした意味での反省が見られないことにストレスが加速するが、憤りを感じるのは、長嶋さんの言葉を、醜い一会社の内紛を有利にすべく利用したことだ。おそらく国レベルで「みんなの長嶋さん」である人だからこそ影響は大きい。
 長嶋さんの晩年を、こんなことで汚して欲しくはない!