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No.2375 御礼の手紙が結びつけてくれたこと

2013.09.24

 地元幸手市にお住まいの主婦から、嬉しくもあり、かつとても有難いお手紙をいただきました。県道並塚線吉野地区の歩道整備について、一部未整備の部分が完成し、すべてがつながり安全性が向上したことへの御礼感謝の内容でした。
 この事業に関しては、私の思いという意味で二つのエピソードがあります。ひとつは小森谷県議に関わるもの、もうひとつは、今日その主婦を訪ねて知った当家のおじいちゃんに関するものです。この二つ、実は微妙につながっているのです。

 職業上、街中を普通に走っている時はもちろんなんですが、選挙戦でも市内各地を訪れる際、いろいろな未整備個所が目につき、印象に残ることがよくあります。落選すればそれまでのことになってしまいがちですが、当選させていただいたことによって、その整備を!と頭の中でいくつかの場所が思い浮かびます。そして、その実現のための具体的行動が頭を巡ります。

 今から2年ちょっと前の初夏のことでした。県議当選後、当地区をあらためて視察確認のために歩いた時に、一軒のお宅をお邪魔したことがあります。すると庭先で杖を手に椅子に座って陽を浴びているおじいちゃんが居たのでご挨拶をしたところ、「あんたが小森谷さんの代わりに当選した人かい。じゃあお願いしておくけど、まだここの通りの歩道が危なくてしょうがないんだよ。ここらじゃ駅まで自転車通勤している人がけっこういるけど、途中から車と一緒に走らなきゃなんないんで危なくてしょうがないらしい。長い間言い続けてきたことを小森谷さんがようやく手がけてくれたんだが病気になっちゃったんだってなー。あんた、あとをなんとかしてくれないか」というような内容の話をされた記憶です。

 たまたま、当地の県道北側歩道は小森谷昭県議の時代に、第1期工事が進み約100mが整備されていたので、同県議の思いをつなぐ立場として立候補した私は、その継続事業ということで未整備部分の事業を要望したものです。
 多少の時が経過していたことと担当事務所の所長が変わったばかりだったので、私のプッシュもいろいろと作戦を練ってのものになりました。
 ひとまず腰を低くしてのお願いに徹して、第2期工事が実現したものですが、その後、第3期、4期とほぼ2年かけてつい先日、駅方向への歩道が貫通したわけです。安心安全の向上に寄与できたという点においては満足のいく事業要望だったと感じています。

 冒頭の感謝のお手紙をいただいたのが今月の10日頃このこと。少々遅くなってしまいましたが、昨日、この手紙の主をお尋ねしました。住所から地図を確認した時、なんとなくの予感はあったのですが、この主婦のお宅は、前述の当選後たまたま入ったお宅でおじいちゃんと話をした、まさにそのお宅だったのです。
 それはそれは、私の顔を見るなり驚くやら喜んでいただくやらでしたが、私の方が驚いたのは、「おじいちゃん、いらっしゃいますか?」と尋ねたら、「亡くなったんですよ」と。「え!亡くなられたんですか、いつのことでしょうか?」と会話が続いてその奥様(お嫁さん)がおっしゃるには「自分で動けるくらいだったんですが、16日に突然・・・」「え!今月のですか?まだ1週間前のことなんですか。じゃあ手紙をいただいてすぐに来ればおじいちゃんに会えたんですねー・・・」。

 おじいちゃん希望の歩道が出来てまもなく、御礼の手紙が私宛に。すぐに訪ねれば、老いたとは言え、元気なおじいちゃんに会えたのに!という想いが真っ先に浮かびました。
 ご焼香のお許しをいただいて仏前に正座した私の目に入った遺影は、あのおじいちゃんでした。
 「少し遅くなりましたが、おじいちゃんに言われた歩道、完成しましたよ」と声にならないご報告をして振り向いたら、いつのまにか横に座っていたおばあちゃんが、「忙しいのにすみませんでしたねー」とあったかい言葉を。
 会えなかったのは残念でしたが、考えてみればおじいちゃんの生前中に完成していたわけで、約束を守れたということではほっとしています。

 
 帰り際の主婦との会話「私が来た時、おじいちゃん、確かこのあたりに座ってたんですよ」「そうそう、そうです。この芝生の上が大好きだったんです。よく覚えてらっしゃいますね」
 慎んでおじいちゃんのご冥福をお祈りいたします。
 そして、おばあちゃんいつまでもお元気で!