記事一覧

No.3549 人道・自由・民主・博愛・平和

2022.03.15

 今号の掲題は、主権国家に軍事侵攻し、何のわだかまりも持たずに他国人民の命を奪うプーチンが捨て去った、いや本質的に持ち得ていないワードである。
 チェチェン、クリミア(実質ウクライナ)、そして今ウクライナ全土を血の廃土にする冷徹この上ない男。私にはこの男は政治家だとはとても感じられない。この人間を政治家というなら政治というものを全否定しなければならない。政治家などでは決してない。政治が何のためにあるかと言えば、終局は人のためということのはずだが、現実のプーチンは狂気の略奪者でしかない。
 狂気の視線の先にある標的は主権国家と人命なのだ。
 ゴルバチョフの共産党解体宣言でソ連が崩壊したのが1991年。その3年後の1994年にはチェチェン、さらに2014年のクリミアと、10年刻みで自己主張を武器に換えたプーチンは、それから8年でウクライナ本土に攻め入った。

 司馬遼太郎さんのプーチン評が面白い。司馬さんが亡くなられたのはチェチェン戦争の終わりが見え始めた1996年2月のことである。病に伏せるベッドの上で司馬さんが考えたプーチンの人物観。
■病的なほどの西側への猜疑心・・・プーチンは崩壊後も自由資本主義を心底から受け入れることが出来なかった。レーニン像がクレーンで降ろされ群衆が群がった光景はフセインの時にもあったと記憶しているが、この時プーチンはどのような心情だったのだろうか。間違いなく!「このままじゃ終わらない、今に見ていろ!」といった怨念憎悪が煮えくり返っていたのではないだろうか。私は人間で最も悪質な感情がこれではないかと思っている。仕返しの精神というものかもしれない。その対象が民主主義自由連合でありNATOなのだ。
 しかるに、国家元首として彼が最優先でしたのは軍事強化だった。

■潜在的な征服欲・・・思想イデオロギーとはまったく関係のない領土拡張支配欲、単純に言えば何でも欲しがる物欲の権化か。それとも上昇志向による自分はトップに君臨しなければならないという王者志向からのものか。
■異常なほどの武器信仰・・・空手家プーチンは武士道どころか人道すら学ぶことはなかった。学んだのは勝つ為なら卑怯も何もない。どうしたら敵に勝てるかのみ。先手必勝、博愛の精神無用論。逆らう者は抹殺あるのみ。方法論は毒殺でも何でも・・・核でも。
 この3点の付書きが当たっているかどうかはわからないが、司馬さんは病室でどえらい怪物の出現に苦虫を噛みつぶしていたのかもしれない。007シリーズのある映画に、歴史上著名な独裁者の蝋人形を飾ることを趣味にする独裁者がいたが、そのボンドの敵はロシアの怪物だったと記憶している。プーチンは間違いなくその部屋に新たに迎え入れられるべき独裁者に違いない。