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No.3524 幸手を愛した人の死

2022.01.26

 最近の訃報続きは、とうとう幸手市を大きく動かした人にまで。
 今からほぼ20年前の平成10年代に、全国的に大きな騒動となった市町村合併問題は、幸手市を含む埼玉東部地域でも住民の心を揺れ動かしたことは決して古い記憶ではない。
 当時の幸手市長の合併論に敢然と反意を掲げ、市民運動に情熱を注いだ、いわば幸手の傑物が25日の早朝亡くなられた。
 市民の会会長 鴨田 廣その人である。
 私は、当時この人を「幸手の佐倉惣五郎」と称していた。私利私欲なく地域の為に先頭に立って汗を流した人。口はけっして達者ではなかったが、一直線に進むバイタリティーと責任感など学ぶ点の多い人だった。

 政治的な運動には必ず賛否があって、いろいろな理由から応援する側が二つに割れるものである。そんな地域を二分することがわかっている運動の片方のリーダーを嘱望されても二の足を踏むのが普通である。しかも、勤め上げた60代後半でこれから夫婦でどう楽しい余生を過ごそうかと考える頃のことであれば、市民運動に時を費やす選択をするだろうか。
 政治的運動は正義を大義名分と任じても、どちらも正義を主張するのが世の常のようなところがあり、賛否両論相まみえる状況に名乗りを上げるというのはよほどの決心が必要である。幸手の場合もまさしくそのような展開になったが、推察通りに市民の会は怒涛のごとく多くの市民を引き込んでいった。自分もそのうねりの中で市民の会の運動に議員の立場で参加したのだが、鴨田氏との触れ合いは貴重な人生の1ページになったと確信している。なにより信念にもとづく言動の大切さを実感させてくれた人だった。
 市民の会が擁立した3人が当選した市議選(私も当時地元で後援会を立ち上げていただき、市民の会が目指す方向と同じ公約で当選を果たした)荒れる議会、リコール運動、市長選、合併賛否の住民投票、合併不成立後の議員削減・・・走馬灯のように記憶の連鎖が蘇る激動の幸手市に身を置いていたのもこの人の存在無くしてはあり得なかった。もう一人、農村部に心底から相通ずる大先輩がいたが、既にこの方も鬼籍に入られている。
 こうして当方が勝手に恩人と思っている方々が帰らぬ人となっていくのは、身を切られるほど悲しいことだが、いずれは訪れることと理解するしかない。
 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。