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No.3415 コロナが回る走馬灯のように 

2021.05.17

 先週の土曜日、5月15日は沖縄返還から49年という月日が経った日。1972年のことになるが、もうそれほどの年月が経ったのかと思う。佐藤栄作総理大臣の時で、社会に出て1カ月後のことだが、報道も大きな取扱いだったのは記憶に深い。交通事情が右側から本土式の左側通行に戻るというニュース解説が印象深かったが、以降、沖縄は常に米軍基地との関わりで政治紛争の絶えない状況が続くことになる。
 私的には行ってみたい異国情緒満載の存在となったのだが、実際に沖縄に足を踏み入れたのは本土復帰後43年も経過した2015年のことだった。もちろん、既に異国的風情というものはほとんど感じることなく、親しみ深い土地柄というのが最初の感想だった。ただ、本島各地にある墓地や墓石が本土のそれとは異なることや、島に行くと家を囲む塀やシーサー、そしてグスク時代の名残りが本土では味わうことの無い異国情緒ではあったが、それらも違和感と言うものは無くただただ新鮮であった。

 「ちゅらさん」という朝ドラがあった。放映が2001年なので既に20年も前のことになるが、これにより沖縄をより身近な日本として親近感を持ったのは間違いない。登場する人物のほとんどが大らかな人柄で、沖縄の空と海の青さが、まだ見ぬ地へといざなうドラマであった。前述の墓地と墓石についても、故平良トミさん演じるおばあが、主人公のエリを案じておじいの眠る墓地に参拝する時に出てくるのだが、確かに日本のものとは違っていた。このおばあがナレーター役でもあったが、おばあやキャンディーズのスーチャン、堺正章さんたちを中心に、なんともほのぼのとした味わいを醸し出していた番組であった。
 どちらかというと、沖縄戦や米軍反対闘争といったテーマで取り上げられることの多い沖縄を、東京との2極化によるファミリードラマ構成で身近にしたという点において、このドラマの功績は輝るものがあったと思う。なにしろ、出演者がしょっちゅう東京沖縄間を往来する脚本だったのだから遠いという意識が薄らぐ感じだった。
 そんな沖縄も今は、「沖縄は元々我が国の領土である」という中国の覇権主義にもとづく究極の野心にさらされ、尖閣諸島を奪島後のターゲットとして不穏な状況が待ち受ける。それでも小沢一郎一家の一員である現在の知事は暢気なもので、中国への気遣いを優先させる現状にある。もっとも、当地の2大新聞である琉球新報も沖縄タイムスも、反政府、反自民メディアとして名高く、辺野古基地反対運動の主導的立場をとっている。わずかに石垣島発信の八重山新聞が国防精神を貫く地方紙として存在感を示している。
 来年は復帰50年の節目の年となる沖縄。今は、コロナ禍を早く乗り越えて観光県沖縄の復活を希求し、明るい沖縄を取り戻すことが最優先であるのは間違いない。

 実は、5月15日は日本一の長寿番組である「笑点」放映55周年でもあった。
 なにしろ、本土も沖縄同様に反日メディアによる煽動捏造のニュース番組やワイドショーだらけで、めっきり地デジを見ることが少なくなった。見たいと感じる番組が少ないと言った方が正しいかもしれない。
 「笑点」も、コロナ禍で番組関係者を3密回避の形でまばらに観客仕立てする苦しい構成を続けているが、内容自体は変わる事無く新鮮な笑いを提供してくれている。トンチのきいた瞬間話芸は大いに我が身のリフレッシュに効果大で、欠かすことの出来ない必聴番組である。
 今の世の中、右を見ても左を見てもコロナ、コロナ、いろいろなことに頭が巡るが、その中心にはコロナがある。
 12号逆転2ランを9回2アウトから放った大谷選手に日米で大歓声が沸く事態だが、球場の雰囲気からはアメリカはコロナ禍から一早く脱け出しているように感じられる。これはやはり今最も世界でもてはやされるワクチンがアメリカ製だというのが影響しているのだろうか。いや、大谷選手の活躍が球場の雰囲気を変えるほどセンセーショナルなものだからだろうか。
 いずれにしても、コロナがめくるめく頭を走馬灯のように巡る日々。いつになったらこの状況から解放されるのだろうか。