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No.3265 學校再開に思う 

2020.04.07

 武漢発新型コロナウィルスは、いよいよ1929年の世界恐慌や1945年第二次世界大戦直後に匹敵する極度な抑制生活が求められることになりました。人間生活はこの間、高度経済成長により豊饒かつ便利な生活に満たされ、それへの感謝も薄れ、当たり前の状況を享受し続けたことで、まさに精神的にパニック状態となりつつあります。若い人達に抑制心が不足しているのもそれがゆえのことと思えますし、近隣のパチンコ店の駐車場が満杯状態にあるのは、どう考えても普通ではありません。明日はわが身と言う考え方は、すべての災害に対する普遍のものだと思うのですが、こうした人たちの思考回路はいったいどうなっているのでしょうか。
 兵庫県知事が学校再開を通達したところ、全国から批判の標的になっています。ならば、埼玉県はどうか! 大野知事も同様の施策を打ち出しましたが、さしたる反響はありません。しかし、はたしてそれでいいのかどうか。今晩にでも政府が発する非常事態宣言の対象に埼玉県は入っていますし、亡くなられた方もでています。なにより、3月22日に強行されたK1興行に6,500人もの観客が3蜜というか集・近・閉の中に何時間もいたことへの不安が拭えません。ここには中学生や高校生、ひょっとすると小学生もいたかもしれません。あれから2週間が経ちましたが、感染経路不明の感染者が東京や埼玉で増加している現状は、この強行興行の影響がないと誰が断定できるでしょうか。
 こうしたことを考えると、学校再開など有り得ないと小生は考えます。登校した子どもたちの行動そのものを抑制することなどできないし、抑制させるなら再開する意味がないのではないかと思います。
 NHKのニュース番組で出演者が2メートルも離れている事実は、学校で子どもたちに同じことをさせられるわけがないと思うと、接近コミュニケーションが主体の子どもたちの学校生活は、学校がクラスターになる可能性すらあると考えるべきでしょう。生活の観点から、とくに非正規雇用として働くヤングママの不安はわからないではありませんが、いまこそ、生活より命ありきではないかと思う次第です。緊急経済対策は国の方針を待つしかありません。これにも批判が渦巻く状態ですが、専門家でもないタレント芸能人がマスク配布批判や非常事態宣言するべきと個々に勝手な意見をマスコミに流すのはいかがなものかと感じています。結局、有名人の名の元に船頭が多くなっている気がしてなりません。
 考えてみれば、もはや未体験ゾーンに入っている武漢肺炎の収束と現時点及び収束後の経済対策は、高度な政治判断になります。誰も経験したことのない事態にほとんどの国が迷走している事実は、反日的政局ありきで政権批判を安易にするべきではありません。名を上げたらきりがありませんが、ジャーナリストやコメンテーターに感情的、扇情的に発言する人が増えている現実は、それこそがパニックを生むことになるということを、今や私たち受け止める側が堤防になる心構えすら必要と感じます。メディア自体にも批判や不満の声をデフォルメすることを主体としているように感じる局があります。こういったメディアやコメンテーターにこそ📶を利用しての発言を抑制してもらいたいものです。情けないですが、これも高度な生活に浸りきった現代日本の有様なのかもしれません。

 一自治体として、万が一、我が街ではまだ感染者が一人もいないという思考が優先しているならまったくもって甘いと言わざるを得ません。日本やアメリカの1月頃の感覚を思いだせば、正に明日はわが身の考え方に立たなければなりません。
 大野知事、本当に学校再開でいいんでしょうかね!?