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No.2179 原発問題ここまでこじれたのは

2012.05.06

 泊原発が今日止まった。この夏、本当に大丈夫なのだろうか?
 一般家庭レベルでは節約に努めようという意識も意義があるし、尊い姿だと思う。我が家もすべての照明の代用にはなっていないが、一部で夜間ソーラーランタンを使用している。通常照明はかなり低めにしている。
 しかし、電力が社会全般にもたらす必要度というのをしっかりと認識把握した上で原発不要論につながっているのだろうかという論理も一方では無視できない。
 原発供給量が全体の30%に達しており、代替エネルギーはわずか3%程度にしか満たない現実。これをどれほどの期間およびコスト計画で脱原発をめざし、経済破綻しない電力体制に移行するのか。東海村が初めて稼働したのが1964年。それから約50年・・・国のエネルギー政策をしっかりと方向づけても代替エネルギーにとって変わるのには少なくとも同等の年月はかかるかもしれない。その最大のポイントは高度成長もバブルも二度とないという推測の中での財政問題だろうと思うのだが・・。
 原発再稼働をすべきかすべきでないかの思考は様々だ。
◆脱原発派
◆政府および関係者の対応次第派(今はまったく受け付けられない)
◆100%の安全性が説明されなければならない派
◆次第に上がっていった再稼働のハードルは少し下げてもいいと思う派
◆脱原発で先行きを案じる派
 いろいろだ。

 脱原発論は人命に関わる主張ゆえ、それが正論であるかのように中心的存在になっている。いや、徐々になっていったとも言える。知名度のある有名人のプロパガンダ的言動もそれなりに助長している感じだ。異なる角度の見方として歪んだ思想集団がこの正論に乗って組織拡大を図っているという情報もある。
 そもそも、時の社会を揺るがす事件や問題が発生したり、経済停滞が長引き貧困度が増す傾向になると、思想社会の転換を図る動きが地下運動的に広がる傾向は歴史的にも世界各地に見られたし、現実に今も変わらないそれがある。
 たとえば、今ドイツでは極右のネオナチが議席を獲得する勢いだという。フランスでも保守に見切りをつけ社会党政権が誕生しようとしている。
 ミニマムな政治世界で考えれば、思いやりが欠如しつつある現代で、人の心に入り込むためにいろいろな便宜をはかる姿もなくはないだろう。もちろん集票を最大の目的としてだ。
 日本の政治は国政からしてその傾向にまっしぐらだ。マニフェストは選挙戦のプロローグであってエピローグには決して結びつかない・・程度に私は感じている。有権者を欺くマニフェスト選挙に有権者が勝つか負けるか、つまり嘘を見抜けるかどうかが現代選挙の在り方として姿を変えているのは間違いない。人物本位は本来のあるべき姿とはいえ、それがなかなか判定しにくい傾向にあっては有権者ができる防御方法はマニフェストに騙されないこと・・・それしかない。

 話を原発に戻すが、日本の場合は無能な政府が、政局的意図から繰り返した2転3転の発言によって国民をたぶらかすかのように、迷える子羊劇をもたらしてしまったことは否めない。