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No.3197 スポーツ芸能にひと言

2019.10.25

 死者が80名を上回る大惨事となった台風19号。あらためて亡くなられた方々に慎んで哀悼の意を表する次第です。
 それにしても、秋晴れが続かないですねー。週末になると天気が崩れる傾向は、スポーツの秋に異変をもたらしています。プロはドームタイプの球場があったり、ラグビーやサッカーは多少の雨もなんのそのですが、私たち草スポーツ好きにとっては、この台風・低気圧による秋雨の影響は大きなものがあります。順延続きで週末の予定があふれることとなり、やり繰りが大変といった状況です。
 

 さて、なんと! 19年ぶりの対決となった日本シリーズでしたが、パ高セ低という評判その通りで、あっという間に終焉を迎えてしまいました。投手力、打撃力、守備力、走塁といったベースボールの全ての基本において、まったく異なるレベルの戦いを観せられた感じです。いわゆる攻走守でソフトバンクが数枚も上というシリーズで、巨人は本来の力を発揮させてもらえなかったというのが最後に残った感想です。
 ポイントは東京ドームに戻っての第3戦にあったと、しかもたった一場面に。それは、初回先頭バッターの亀井がバンデンハークから理想的なホームランを放った後の場面です。1、2戦の敗戦直後、本拠地にもどった初回でしたから、この後の反撃の流れを予感させたホームランでした。
 ところが・・・キャプテン坂本が1球ボールの後、真ん中よりに入るツーシームを2球見逃し、次球の外角スライダーを空振り三振。このシーンが焼き付いて離れません。目もうつろに上を向いてベンチに戻る姿に、負けん気といった感じのファイティングスピリットが感じられなかったのです。この後、丸、岡本と三振で、とくに岡本の時の5球すべてがナックルカーブという大胆なサインだったことは、捕手力でもソフトバンクが勝っていたことを物語っています。坂本については、最終戦で最後のバッターとなった打席、ホームランを打てば逆転サヨナラとなる場面でしたが、前述のビデオを見せられているかのような三振で幕を閉じたのです。
 守りの破綻も多かったですが、エラーは基本的に責められることではありません。我々の草野球、草ソフトでもこれは同じことで、叱咤の対象となるプレーとしては、打った後の無気力走や見逃し三振といった怠慢プレーがそれにあたります。そういう意味では、丸の見逃し三振も多かったですね。監督の采配云々については、あれだけ実力を出し切れない選手が多ければ采配も何もありません。ガチガチのエースであったはずの菅野が第4戦に使われ、しかも好投したという皮肉な結果も今年のシリーズの全てを示しているのではなかったか。そう思うと、残念な思いがさほど残らないエンディングでした。
 メジャーも、シリーズ初出場のワシントンナショナルズが本命アストロズを破りかねない様相です。大谷選手の来年もしかり、次年度への期待感をたっぷり与えてくれた今年の日米プロ野球でした。

 徳井というお笑いタレントによる3年間に及ぶ税無申告問題。
 彼の口から「想像を絶するだらしなさ、ルーズさでした」「悪意もくそもないです!本当に申し訳ありません」といった発言が!
 なんですか、この発言は! まるで悪意はない、意図的ではないという言い訳に過ぎないじゃあありませんか。まして、経費に出来そうもないものまで経費にしようとしていた思考がある事実は、これこそが一般住民側からみて想像を絶するということです。
 近い話として、幸手市の前市長が飲酒暴行事件を起こした後に口にした「晴天の霹靂でした」という言葉も、本来、市民が感じる言葉として晴天の霹靂なのであって、本人が言う言葉ではありません。「逮捕されたことは」という前段があるにせよ、国語力が無くなっているとかいうレベルではなく、言い訳するにしても、言葉自体が主客転倒している社会なのかと情けなさを感じる次第です。
 芸能界には懲戒免職とか永久追放といった一般社会やスポーツ界にあるしきたりはありません。いつでも復帰が可能で、プロダクションとしては、あえてそれを話題に復帰をもちかけるフシもあります。仲間たちが涙ながらに復帰を訴える場面すらあります。淫行、薬物、暴力または暴力団との癒着といった事件は個人的な問題だと思いますが、意図的な申告はずしや脱税といった類は、最も許されざる行為ではないでしょうか。脱税となれば犯罪ですが、税金対策のために別会社を設立し、その社長におさまるという目的も感じられるわけです。裏を返せば、それだけお笑いタレントの皆さんは、売れれば庶民の想像を絶するギャラが待っているということのようです。
 すでに、今朝のメディアは菅原経済産業大臣の辞任でにぎやかです。政治家の場合、メディアは俄然張り切ります。意図的ではなかったと言い訳する姿はまったく同じに感じますが、政治家と芸能人に対する社会の寛容性は、まったく異なるということは間違いないようです。政治家は税金を報酬として成り立っているわけですから当然のことと思います。