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No.3179 自民党埼玉県連

2019.09.18

 せっせと書き綴った8月と比べ、議会が始まった9月に入り、そのペースが一変したいへん恐縮です。にもかかわらず日々アクセスいただきますことに改めて感謝申し上げます。

 一昨日、自民党埼玉県連臨時大会が開催され「知事選に対するすべての責任は県連会長であり、選対本部長である私にある」として、新藤義孝会長が辞任し、後任に柴山昌彦前文科大臣が就任した。
 県連内に青島健太氏落選の責任を問う声が強かったことも理由だが、結果が出た直後から新藤氏は辞任を意識していたという報道が出ていた。流れは、その通りになったが、これで自民党埼玉県連もしかりだが、それ以上に自民党県議団の内部改革が完了したとは思えない。逆に、これでひとまず知事選の総括が終了したと上層部が考えていたとしたら大きなしこりが残るのは間違いないとさえ思う。その理由は、選挙を仕切ったのは自民党県議団だからである。いくつか考えることはある。
◆選対本部長は選挙の最高役職ではあるが、実務本部長ではない。勝てる気配でスタートした選挙が、なぜ終盤追い込まれ敗戦に至ったのか。
◆実際、選挙戦は各地の県議が仕切るという戦略指示が出ていたが、選挙カーの日程についても、各地で余裕のない連絡通達が常態化し、動員するにも時間的にかなり無理が生じていた。
◆行田邦子氏が出馬辞退をした時点で選挙の様相が大きく変わったにもかかわらず、戦略戦術に具体的な変化は見られなかった。選挙が終わってから、行田陣営の幹部が大野候補支援に回ったとの報道があったが、実務部隊はいったい何を練っていたのか。

 つまり、選挙全体が県連というより自民党県議団に委ねられていたわけだから、新藤会長の首をすげかえるだけでは本質的な選挙総括にはならないはずだが、実際はそうならなかったということでなる。いや、少なくとも私にはそうとしか理解できない。
 責任の本丸はどこか、誰か!をしっかり考え、論じないと、埼玉県はこのまましばらくは、国政とは異なる政党系の知事が長期化するだろう。
 しかも、上田知事の辞任挨拶時も大野知事の就任挨拶時にも自民党県議団は控室を空にした。議員が一人もいないというのは偶然であろうはずがない。わざわざ挨拶にくるのに、誰もいない時間帯にというのは考えにくい。ある自民党議員が大人げない対応を詫びたというが、会派党内にある議員の発言として許されるかどうかは別の問題として、私も同じ思いがしてならない。
 「16年間ご苦労様でした」「当選おめでとうございます。お手柔らかにお願いしますよ」と、何故言えないのだろうか。人としてこの程度のことは当然だと思うのだが、人と党は違うのだろうか。選挙は常にしこりを残し、ノーサイドにはならないという悪しき見本を若い人達にまで感じさせて良いはずがない。
 今後の議会運営はまたネジレ現象が続くことを連想させる。事あるごとに知事に不毛の論戦を仕掛ける自民党県議団でいいのだろうか。とすると不幸なのは県民であり、まさに県民不在の自民党県議団の対応との評価がつきまといかねない。このような旧・新知事への対応を指示した実態と、今回の選挙を実務上指揮した姿とが重なって見えて仕方がない。
 私の4年間では、前半は上田知事と良好な関係だった。議会前の議案説明を受けて、修正すべきは議論して修正して議会が始まったこともあったと記憶している。そうした調整機能をしっかり果たし、またそれが出来るのが最大会派の存在感だと思うのだが、現状、先が思いやられる。自民党しか国を、地域を託せないという想いで政治活動を続けているつもりの自分にとって、今の状況は残念かつ悲しくてならない。