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No.3095 鎮魂の8年

2019.03.11

 東日本大震災から今日で8年。あの時、何処で、誰と何をし、地震が起こってからどんな行動をしたかまで、今でも鮮明に記憶に残っています。長い揺れでした。その後のテレビ緊急報道が伝える生々しい現状に釘付けとなり、とても現実のものとは思えない津波の恐怖に驚愕しました。皆さんも同じ状況だったのではありませんか。
 あれから8年経った今、遠くエジプトでも鎮魂のイベントが開催されるなど、世界の人々が被災地の復興を願ってくれていることに日本人として素直に有り難く感じます。某近隣国では地震で日本が沈没すればいいと言ったとか言わないとかがしばらく前に話題になりましたが、政治や歴史の怨念精神をここに持ち込むのは人の道に反しているようで悲しさと同時に憤りを感じます。

 
 昨夜未明から雨がかなりの音を立てはじめ、防災ニュースを見ると当地域では80ミリの集中豪雨の可能性を伝えていました。昭和22年のカスリン台風が集中的に降った2日間の雨量が600ミリを超え、渡良瀬近辺のように1日平均400ミリを記録した地域もありました。もとより、地形的問題で80ミリもふると冠水に至る地区がいくつもある幸手市を考えると、おちおち寝てはいられない気分になった次第です。
 どこの街でも同様ですが、路面より上にはない用水路や排水路が街中に張り巡らされています。車で通っても気が付かないのが普通ですが、住宅地内を縦横無尽といった感じで敷設されています。こうした水路は水が十分にある時はいいのですが、かすかすの状態の時は油が浮いていたり、草とゴミとヘドロに覆われ、いかにも蚊が大量に発生しそうな雰囲気を感じます。冠水対策上も問題ですし、住宅と隣り合わせと考えると衛生環境からも考えものです。
 これらの解決には地区単位であたることも大切でしょうが、とくに水害対策上、行政が可能な限りの予算的な手法を講じて対処するべきだろうと思っています。水害対策というと倉松川や中川、葛西用水といった河川や大水路を考えがちですが、流域面積から考えれば、こうした水路の実態を軽く考えるべきではないと思っています。
 こうした災害対策の考え方は、住民の生命と財産を預かるという言葉を噛みしめるならば、自治体にとっての自助という考え方も成り立ちます。それは国や県の助けがあって出来ることと考えるなら、それは自治体そのものが公助を求めているにすぎず、それでは遅々として前に進まないのではないでしょうか。いや、そう考えるべき災害多発国日本と言えます。
 そして、幸手は災害が少ないと言う方がけっこういますが、それは大間違いであって大災害は100年、200年に一度と考えれば、人間の一生に一度あるか無いかの話と考えるべきなのです。だからこそ、「明日は我が身」とか「備えあれば憂いなし」といった心構えを説く格言もあるのでしょう。共助もさることながら、自助の備えがどれほど出来ているかをあらためて図るのも、東日本大震災8年にあたっての鎮魂供養の在り方ではないかと想う次第です。