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No.2778 さあ、夏休み

2016.07.20

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 深夜、かなりの雨が降ったが昼間の熱気に覆われた道路が乾きを早めているようで、7時に外に出たものの雨の跡をあまり感じさせない。

 子どもたちはいつも通り元気に通学しており、「明日から夏休みだね、9月まで会えないけど楽しい夏休みになればいいな」と声をかけると意外な返事が・・・。
「えっ、そっかー明日から夏休みかー」これ、1年生の返事。案外に無頓着な一面があることがわかる。まだ、小学校のカレンダーの流れが理解できていないのかもしれない。

  それにしても、4月からの4ヶ月で背丈がえらく伸びた子もいて、成長の度合いには目が細くなる。ほぼ平日の毎朝見てるので、日頃はさして感じないことでも、突然、自分の胸ほどまで背が伸びてると感じる時がある。
 子どもたちの屈託の無さに癒される日々から1ヶ月ちょっと離れるが、9月にはどれだけ生意気になっているやら楽しみにしよう!
 宿題ちゃんとやるんだぞ。水遊びは気をつけろよ!

No.2757 非を理解し、詫びる父親に安堵

2016.06.05

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 前々号で我が子置き去り事件について書いた。厳しいことを書いたが、結果として、大和くんが元気で発見されたことから国をあげて、いや世界をあげてほっと安堵したのは間違いない。

 とにかく、父親のインタビューに注目したが、素直に反省の弁を語る純朴な人間性は理解できた。今後の大和くんへの対応に「やりすぎ」はないことを信じて、これにも安堵した次第。ただし、大和くんに詫びることがなにより先決だ。
 今回の出来事、万が一でも大和くんが無事に見つからなかったら(その可能性は大だった)この父親は、まさに世界世論からどれほど叩かれたことだろうか。
 虐待とは言えない結果になって良かったことには違いないが、結果を喜ぶだけでいいというものではない。なぜなら、虐待の種類にはいろいろあって、放棄、怠慢が身体や精神に必要以上の衝撃をもたらすという意味において、取り返しのつかない結果を子どもに与えることを指す。

 置き去りにされた小学2年生の大和くんが、発見されるまでの1週間、人と会うこともない孤独な状態で、夜の10㌔彷徨のはてに、偶然にもねぐらに行きあたった。
 その子どもが自衛隊員に出会った際に泣くこともなかったというのは、逆に私たちの涙を誘う。まさに、今回のことはネグレクト虐待のひとつである精神的虐待と判断されてもしかるべきなのだ。
 ネグレクト虐待とは、無視、放棄という心に与える虐待を指すのだから。

 自衛隊駐屯地の訓練施設に行き当たり、締まっているはずの鍵が開いていて、マットレスがあり、水道の水が出て、といった偶然の重なりの中で、大和くんが類まれな生き延びる知恵と勇気を発揮したからこそ、事件が最悪の結果にならず大団円になった。
 親が熟慮足らずの感情的誘発で、子を命にもかかわる最悪の状況に放った事実は、やはり世の批判を浴びてもやむを得ない。

 そして、これを反面教師として世間の親が認識してもらうことが大切ではないかと老婆心的な発想が浮かぶが、余計なお世話か?? 
 ただ、今ネットにおいて、しつけと称して行われた親のいくつかの行為があらためて問われている現状があることは、ひとつの戒めに近いものがある。

 ところで、尾木ママが教育者の目で、今回の事件を父親に的をあてて書いたブログが炎上に近い状態になっているという。
 大和くんの発見が難しいという想定において、親の逮捕がある!といった内容については、テレビでも語っていたと思うが、それ以外にどれほどまでのことを書いたのかは知らない。おそらく父親の行為に対してバッサリ切る内容だったのだろうと思う。
 基本的には私も尾木ママの考え方に大きな差はないが、最悪の想定を唯一に近い大前提に、父親への司法対応まで論ずることは躊躇する。
 しかし、結果がハッピーだったからといって、こうした論説にヘイト的批判をぶつけるのはいかがなものだろうか。
 

 デパートの中で置き去りにしたのとはわけが違う。大和くんにとってみたら極限に近い状態に置かれた事実は、親をかばうことにはつながらない。
 ただただ、真底からの鬼親ではなかったことが大和くんにとって良かったネと感じた事件だった。
 大和くん、父親に思い切り甘えればいい!

No.2756 大和くん、見つかる!!!!!

2016.06.03

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 緊急速報!

 北海道山林で行方不明になっていた田野岡大和くんが発見された!!!

 さぞや恐ろしい日々だったであろう。良かった、良かった!

 大和くんの第一声は?

 父親の反応・感想は?

No.2755 しつけを虐待の言い訳語にしてはいけない!

2016.06.02

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 北海道の子供置き去り事件には驚いた。
 
 私は、「現代子育て考」がたとえ一部であったにしても、かくも親の自己満足という価値観が優先されていいのだろうかと思う。今回の事件には身震いするほど驚愕している。
 事もあろうに、これから暗くなるという時間に子供を人気のない山中に置き、車で去るという行為はしようと思ってもできるものではない。時を同じくして秋田県鹿角市で熊に遭遇した3人が命を落としているというニュースが続いていた頃だ。

 子どもが置き去りにされた場所も、北海道ならではの大自然が広がる園地。昼間は観光スポットにも入るような場所かもしれないが、夜ともなるとまったく姿を変えて野生が行き交う場所だというのは、ニュース画面からもわかる。
 大人でも恐怖感しか感じないそんな場所で、小学校2年生に肝だめしでもあるまいし・・・案の定というか、実父は躾のためにやったと説明した。
 
 親は責められない、という親擁護論があることに驚いた。しかし、比率は歪んだ親心に怒りを覚える声が圧倒的に多い感じだ。当然のことだろうと思う。
 
 この親のしたことは、断じて子育てでも躾でもない! 
 子どもが味わった恐怖を思うとまぎれもない新種の虐待である! 
 虐待は子どもや高齢者が対象となるが、高齢者の場合と異なり、子どもは親に対して物言えず、逆らうことなど出来ないのだ。こうした虐待に近い日常がある子どもの場合は、概ね親の顔をうかがう傾向にある。
 無事に発見されることを願うが、発見されたとしても田野岡大和くんは今まで以上に親に従順な子どもになるのではないかと危惧する。そこが、また不憫でもあるが、逆に元気で見つからということは、彼の生命力と根性の為せることだろうから、それはそれで彼の成長が楽しみにもなる。だからと言って、親のしたことが正当化されることがあってはならない。/span>

 親による対子供犯罪が、しつけと称する言葉で片付けられたら子はうかばれない。今後、同様の事件があった場合の悪しき先例としてしつけが虐待の言い訳語として定着しないことを願うばかりだ。 

  本来は、こうした親に対して社会がしつけをするような制度が構築されなくてはならない。しつけされるべきはこの親の方ではないか!
 それほどまでに虐待の実態は増加し、悲惨な子供の姿があるのだ。

No.2716 凍れる朝・・・子供たちと組体操

2016.02.24

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 今朝はシバレた! 風もないのに膝周辺や手足の先に感じる冷たさはここ数日はなかったような・・・。

 でも子供たちはどうかと言うと、私の近くで信号待ちしてる時、手袋を取る子どもがいて「せっかくしてるのにとったら寒いぞ」と言うと「そうでもないよ」と屈託ない。そこで少々ハッとなる。なぜなら、またおせっかいな心配性が口に出る自分に気がついてだ。
 基本的に公的ルールに反しない限り、子どもたちのやることには目を細めるくらいでいいし、なるべく好きなようにさせればいいというのが子どもの成長を期待する大人の在り方ではないかと思っている。なのに、ひとつひとつの子どもの仕草につい評論してしまう。いかんいかん!

 そこで思う。流山市で組体操禁止を小中学校校長会で決めたという。全国初の自治体だとメディアは言うが、これには賛否様々あることと思う。

 基本的に私は反対である。なぜなら、まず議論が足りないと感じるし、世論の動向も調査されているとは思えず、肝心の保護者や子どもたちの考えも聞いてみたのかどうか?
 校長や教頭といった学校運営のトップ層は、安心安全を尊ぶ傾向があって、とくに自らの立場の安心安全への配慮に赴きが置かれているのではないのかと、申し訳ないがそんな状況が目に浮かぶ。
 確かに、モンスターペアレントが根付いて久しい。テレビでも、子どもに何かあったら責任をどこに持っていっていいかわからないから組体操禁止は賛成という意見もある。
 

 ならば、危険度を回避するための方策は考えられたのだろうか?
 ピラミッドやタワーが危険だというのは理解できる。しかし、組体操はそれだけではない。このふたつにしても、安全なやり方は工夫できるはずだと思う。また、全国で8,500件、うち骨折が25%も発生しているということもマイナス思考に傾く原因だとは思うが、その原因はどこにあるのかと不思議でならない。たとえば・・・
◆食文化の変化で子どもたちの身体が骨折しやすくなっていることはないのか?
◆祭り事イベントになると、理性が希薄化し、基本的な規則順守意識が無くなる現代子ども事情があるとは言えないか?
◆ピラミッドの階層をより高くするなど、年々派手な演出を求める傾向はなかったか。

 つまり、教育者側に来場者に魅せるための競技にという意識が強く、子どもたちのための教育プログラムという考え方が遠のいていた可能性もあるのではないか。
 とにかく、まだまだいろいろあるはずの原因分析がなされたとは、とても思えない。
 なにより、組体操は日本的運動会の歴史文化の中心にある伝統的競技であり、運動会の華ではないか。
 そして、こうした団結力や協調性を原点に達成感を得ることが出来るプログラムは、子どもたちの成長過程に欠かせない意味を持っていると思う。振り返れば、運動会の記憶の多くは、応援、徒競走、リレー、棒倒し、騎馬戦、そして組体操(失礼!男性中心かもしれません)そして母の作ってくれたお弁当というのが大方の共通項目ではないだろうか。

 しかし、リレーは全員参加の競技ではない。棒倒し、騎馬戦は勝ち負けを争う競技で体力も影響することから、危険性に歯止がかかりにくい競技である。そう考えると、組体操は勝負性もなく、全員で力を合わせる競技という意味で素晴らしい教育プログラムだと言えるのではないだろうか。 

 なんとか残せるように苦心惨憺するべきところが、あっさり廃止ではちょっとした危険性でなんでも禁止・廃止になりかねない。
 私は逆に、「教育者のおおらかさが欠如しつつある社会」にこそ危険性を感じる。

No.2713 感謝の交歓=子どもたちと

2016.02.18

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 朝7時、通過する車の屋根が氷結している。冷たい空気を感じつつも、すでにまぶしい陽射しは日中を暖かくしそうだ。登校する子どもたちの様子は、若干天候に左右される面があるが大人ほどではない。
 さて、今日はどうだろうかと毎日気になる。

 昨日、地元の小学校で「スクールガード感謝の集い」が行われた。短いけれど気持いっぱいの感謝の言葉を受け、花束に加え、ひとりひとりの手作り感謝状を10人分ほどづつブックにしたものを手渡しでいただいた。

ファイル 618-1.jpg  ファイル 618-2.jpg  ファイル 618-3.jpg  ファイル 618-4.jpg  ファイル 618-5.jpg  添付写真はその一部だが、微笑ましいことこの上ない。一生懸命考えながら書いてくれた様子が、消しゴムの使い方に表れている。

 「昨日はありがとう!」と、あらためて言い直す今朝のパトロール。しっかり挨拶しますと書いてくれた子どももいたので、今日はどうか?と子供達を待つ。相変わらずこちらが誘い水を示す必要はあるが、「おはようございます!」という声は、いつも以上に大きかった。

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