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No.3523 強い大関いでよ!

2022.01.24

 コロナの影響か、大相撲のテレビ観戦が以前より落ち着いて観ることが出来ている。特に日曜の千秋楽をライブ観戦するのはここ2年で何回あっただろうか。力士の顔ぶれからは物足りなさがあるものの、これもコロナの影響か、ぶつかり音、息遣い、行事の発言が生々しく耳に入るせいか、相撲の醍醐味がしっかり伝わってくるのがたまらなくいい。場内が静まり返っていることが原因だが、昨日は結びの大一番で「てるのふじー!」という野次が珍しくとんでいた。テレビでこれほどはっきりと野次が聞こえるのもそうは無い。とっさに場内に野次注意のアナウンスが流れたのがコロナ社会を感じさせたものだ。

 初場所は御嶽海がいつになく安定した取り口で優勝した。関脇どまりで3度優勝するのがもったいないと思っていたが、本割で勝って3場所33番白星という大関昇進条件を達成した。本割で負けていたら、たとえ巴戦の優勝決定戦で優勝を勝ち得たとしても昇進出来たかどうか。下位力士に取りこぼすパターンの多い御嶽海でしかもそれが続くのがこれまでのイメージだったが、三役を張り続けていることは立派だと感じていた。
 高安、栃ノ心、貴景勝、朝の山、正代、照ノ富士、そして御嶽海・・・近年の大関は2015年7月場所で246代大関に昇進した照ノ富士以来8人いて、うち照ノ富士が優位条件無しの昇進を2度果たしている。幕下以下への陥落が決まっている朝の山が同じように実績で大関復活を実現できるかどうか。
 とにかく、カド番というワードが毎場所のように出る大関陣のひ弱な実態は、大相撲の盛り上がりにブレーキ以外の何ものでもない。昇進前は強かったが昇進後に実像が変わってしまうのが不思議なほどである。今場所の正代などはどうしたというのだろう。来場所は奮起の場所にしてほしい。朝の山の恩赦の話もあるそうだ。時と場合にもよるだろうが、相撲学校的な機関で人間としての再教育をして早期復帰を可能にすることも一考ではないかと思う。

 御嶽海の笑顔は見るものを和ませるものがある。発言も力まず、惜しまず、口ごもらずで品位も感じる。ぜひとも精進して強い大関はもとより横綱を張ってほしい。明生、大栄翔、阿武咲、若貴景、隆の勝、そして宇良といった突き押しを基本としつつも技も併せ持つ力士たちも楽しみな存在だ。
 実は、奇抜なことを期待しているのだが、御嶽海が長野の名大関「雷電」の名跡を継ぐのはいかがなものだろうか。稀勢の里が横綱に昇進した際、私は心ひそかに茨城の名跡である「常陸山」を名乗ってもらいたいと考えていた。残念ながらその声を聴くことはなかった。今回、もしも実現すればスキャンダルの続いた国技大相撲のイメージが一気に挽回どころか連日大入り満員間違いないと思っているのだが。
 雷電のノボリの立つ国技館で、雷電と縫い込まれた化粧まわしを着けた強い大関の出現によって1790年代に雷電が絶大の人気を誇った江戸相撲の輝きを取り戻すかもしれない・・?
 久しぶりのスポーツ投稿、夢にしても過ぎた話か?

No.3454 遅すぎたコールド宣言

2021.08.17

ぐずつく天候が続くが、国内全域を見れば半年分の雨量だとか、128年ぶりの冷え込みという地区があり、関東平野は比較的穏便な状況と言える。
 そんな状況で、全国高等学校野球選手権が行われているが、すでに3日も中止となっている。また、宮崎商が1回戦を前に、1回戦を勝利した東北学院が2回戦に進むことなく、選手に陽性者が出て出場を辞退した。そういう事前ルールがあったというが、選手たちとしては悔やんでも悔やみきれない結末となった。

 今日の第一試合の8回表終了時点で、狐に包まれたかのようなゲームセットに東海大菅生が泣いた。開始早々から雨に見舞われ、3回を過ぎる頃にはグランド一面が水で覆われる最悪のグランドコンディションとなり、とてもまともな野球が出来る状況にはなかった。雨中の決戦という言葉が蘇るが、今日の場合は水上の戦いだった。それでも選手たちは懸命に雨まみれのボールを追い、東海大が7回表に1点差までにせまった。
 私は同点になったら審判が中止宣言をすべきだし、そうしてあげて欲しいと思っていたが、続くチャンスで東海大は後続が続かなかった。ますますひどくなる状況で、その裏桐蔭は2点を上げ再び3点に差が広がった。いや、何が辛いかといって土砂降りの中で投げる投手ほど大変なことは無い。滑る指をコントロールするには、腕の振りが遅くなり、指使いの極端な大きな変化球などを投げるのは困難だからだ。

  どうしても試合を続けたいかのように8回表に入ったが、東海大は1死2・3塁と相手投手を攻めた。と、ここで中断。 
 30分後にコールド宣言。主審が両キャプテンを呼びなにやら説明していたが、主審の顔にはなぜか笑みが感じられた。選手を納得させるための笑みだったと思うが、どうあっても納得できるものではなかったはずだ。
 シビアさが増すスケジュールを考えると強行したいのはわかるが、結果論として純粋に戦う主人公たちに対して不誠実な最後通告となった。
 この結末であるなら、7回表に1点差まで詰めた時点で中止再試合を宣言してもよかったと思う。その時は、同点、同点と思いながら見ていたが、お互いに本来の実力を出すことが不可能な事態になって、負けているチームが残すところ2イニングの攻撃を残しているところで1点差なら、互いに納得のいく中止にすることが出来たのではないだろうか。ところが、試合は続行され、差が3点に広がってしまった。皮肉なものである。
 コロナ辞退も、変則コールド試合も、当事者である選手にとって、心の傷にならないものかと危惧するが、野球人生をこれで最後と考えていた選手にとっては尚更のことだろう。学問とスポーツ・・・教育の一貫として尊ばれるスポーツも自然とウィルスを相手にしては敗者とならざるを得ないのかと、悔やまれてならない。

No.3450 パラリンピックに目を注ごう

2021.08.09

 オリンピックが17日間の熱戦の幕を閉じた。もう、我が身が命ある間に自国での開催は無いと思うと、なんだかんだ物議を醸したが、やはりスポーツイベントの最高峰であるオリンピックには得も言われぬ興奮と感動を拝受した。観客がいようがいまいが、選手たちのほとばしる汗と涙は、ここに至るまでの厳しい修練の集大成として集中するからこそ観る側の心をうつ。
 個人的には、開会式、閉会式ともにIOC、五輪委員会、プロデュース会社、プロデューサー、NHK・・・何を伝えたかったのかが今一つ理解できなかった。出来栄えうんぬんとは違うスポーツとの関りという意味で、膝を叩くほどのマッチングが感じられなかった。人権問題、ジェンダー問題に多くの人が意識するようになったと評価する知識人もいるが、五輪にそういう役割を求めることがはたしていいことなのかどうかと思えてならない。
 多文化共生、多様性と調和を基調テーマとした五輪であったが、それをどう理解するかは人それぞれに全く異なるはずであり、それこそ強要できるものではない。閉会式のアナウンサーのコメントもそうしたテーマに関して原稿を整え、画面とは切り離す形で読み切ることに徹していたように思う。ウポポイアイヌの場面では外国人にどのように理解してもらおうとの思いだったのか。たしか、この閉会式は選手たちに対する慰労の意味で日本の文化イベントを企画したという説明だったが、本当に慰労になっていたのだろうか。先に挙げた企画組織の自己満足になっている一面が何割かはあったと思うのだが・・・。

 そもそも、多様性や多文化共生を、こと五輪という場でおいてあえて唱えることなのだろうか。BLM運動を主体とする人権問題も、よくよく考えてみれば、世界の国々で黒人選手が代表になっている例は枚挙にいとまがない。いつの間にか自然と受け入れているのが現実ではないだろうか。日本でもそうした選手は各分野に存在する。いずれも日の丸と君が代をバックに全力を尽くしてくれているのだ。観る側として、支える側としてそれを応援し、見守るのは当然なのだが、それを改めて意識しろと言われているかのような在り方こそ純粋なスポーツイベントにそぐわないと感じるし、あえて人権問題として世界の祭典に持ち込む必要があるのだろうかと思う。まして、中国やロシアの人権問題に触れるわけでもなく、たまたま亡命希望の選手がいたベラルーシの独裁政権の実態が浮き彫りになりはしたが、それに前述の主催者側組織がなんらかの対応をしたかというと、何も手を出さずにいたというのが実態ではなかったか。受け入れを表明したポーランドの政治姿勢が際立って見事に感じられたくらいだ。

 閉会式当日に至っても、五輪反対プロパガンダデモを国立競技場周辺で行う人たちがいたが、利権だ、なんだと言っても、地球規模のイベントを開催するのであるから、大きな資金が動くことは当然と言える。私個人的には、1964オリンピック時にアマチュア五輪にこだわった名物会長のブランデージ氏の存在が忘れられないが、開催ごとにプロ選手の参加が認められることになったのも、ショーアップ五輪につながる理由の一因だと感じている。
 古い人間なのだろうが、たとえそう言われようと、開会式も閉会式も1964東京五輪が2020より記憶に残ると感じている。あの古関翁のオリンピックマーチも編曲しないオリジナルの素晴らしさを改めて知った。

 閉会式直後の今朝一番のSNSニュースに菅政権の支持率が28%に下落したと報じたマスコミがあった。あえて社名は言わないが、海外から日本の対応のすばらしさに賛辞と感謝の弁が報じられる中のことで、感動のイベントが終わったと同時に、選挙目当ての印象操作を開始する反日メディアの存在は、日本の国力を劣化させるだけだ。
 「菅総理、長崎式典に1分遅刻」「バッハ会長ポロシャツ姿で銀座散策に人だかり」「ネット騒然 バッハ会長選手は観光禁止なのに銀座散歩」「閉会式で選手次々退場 懲りない橋本会長 日本人であることが恥ずかしい」「日本のバドミントンはあぐらをかいていた」
 こうした表現で2020の後味を悪くするのは、いずれも五輪中止を唱え、日頃から政権批判に明け暮れるメディアである。「五輪が終わって残ったのはガラクタだけ」といったサンモニコメンテーターもいた。寂しい思考だ。
 17日間、そうした反日喧騒から若干解き放たれていたが、いよいよ解散総選挙ともなると、またそぞろ世間の騒々しさが政治に向けられることになるのだろう。 
 その前にまだまだ世界の祭典は続く。パラリンピックも同様に注目したいと思うが、まさかパラリンピックに開催反対などの批判的な目が向けられることはないと思うがさて。

No.3449 印象を悪くする目的の五輪反対

2021.08.06

 東京オリンピックも残すところ2日。数々の物議を生んだ世界の祭典もその幕をまもなく閉じることとなる。
 人それぞれに各種の思いが残る大会ではあるが、野党と左派系組織の五輪反対プロパガンダが最後まで続けられる状況に残念な思いがしてならない。
 5日の衆院議院運営委員会で、立憲民主党の小川淳也氏が「新型コロナ感染拡大の中で、大運動会をやっている。自粛要請が市民に響くはずがない」と。また、共産党の塩川鉄也氏は「五輪が国民の意識に与える影響は大きい。今からでもオリパラの中止を決断すべきだ」と、それぞれ発言した。思想信条いろいろあれど、大運動会発言は選手に対して失礼そのものではないかと思う。
 さらに、某左翼系機関紙には「本当にフェアな五輪?」「最高から遠く」「コロナ感染不安で出場断念」「条件に格差 日本ばかりが有利」「日本は金メダルが期待される競技は強化費も潤沢で高級なホテルに陣取る」の他に、アメリカ女子体操のバイルス選手の団体戦欠場に関して「1年延期した上に無観客。慣れないことが多くてこの大会は非常にストレス」とし、開催強行が招いた悲劇と書いている。どこの国の機関紙かと思う。ゴルフやテニスで観戦不安から欠場した選手が相次いだとも指摘する。賞金の無い、国の名誉だけの為にあえて出ようとは思わない選手もいることを認めたくないようで、ここでもコロナ感染への不安からと理由を限定する始末である。
 そもそも、どんなスポーツにもホームタウンデシジョンというものがある。開催国、開催地に有利なのはすべてのスポーツに言えることであろう。これが基本であり、コロナ不安は世界中すべての人間が感じていることであり、出場するかしないかは個々の選手の意志に基づく。日本の選手が高級なホテルに陣取るというのはどこまで事実を伝えているのだろうか。日本の選手が厚遇されていると言うが、中国や北朝鮮、韓国の比ではないだろう。勝てば2年間の徴兵義務が免除されるなどの例は、どう評価するのか教えてもらいたいものだ。

 今、五輪を中止した場合、いったいどのような問題が生じるか想像もつかないが、確実に日本に対する海外の評価は低落することと思う。したがって、喜ぶのは先の3ヵ国くらいかもしれない。
 アメリカのバイルス選手の話の事実は、7月27日の団体戦の跳馬が不調に終わったことから、それ以降の演技をすべて欠場することを表明したことに端を発する。しかし、バイルス選手のメンタルヘルスの問題は、延期や無観客というものではなく、大会中に叔母が亡くなったという一報が入ったことによるものだったというのだ。ところが、個人戦平均台の出場権利があったことから、順天堂大学が特別に練習の場を申し出ることでバイルス選手を励ますことになったそうである。そして、バイルス選手は8月3日の平均台に出て銅メダルを獲得し、満面の笑みを見せ、同大学に感謝の弁を述べている。そして、このことをインスタグラムに投稿した途端、142万人の「いいね」が世界から届いたそうである。今ではもっと多くなっているものと思う。

 多くのメディアや野党が批判の為の勝手な理由をこじつけるのは今に始まったことではないにしても、もう少し温かい目で見ることが出来ないものだろうかと、今回の2020五輪でつくづく感じている。それにしても、大運動会とはよく言えたものだ。国会で問題視すべき発言、少なくとも撤回謝罪もしくは厳重注意に値するのではないだろうか。
 大人の喧騒な世界とは無縁に、勝って泣き、負けて泣くアスリートたちの超絶競技に一喜一憂しながら画面に見入る子供たちがいることを忘れてはならない。五輪は教育的見地からも大切な価値観を持つはずだ。しかも自国で開催されている半世紀ぶりのイベントに夢を追いかける子供たちに水を差すようなプロパガンダは無用であろう。五輪に反対している家庭では五輪を見ない見させないのだろうか。いや、主義主張と整合性が無かろうが、矛盾しようが、子供には観せてあげて貰いたいものだ。

No.3445 難しいこと抜きで素晴らしい五輪

2021.07.27

 開幕して5日。オリンピックとは、やはり最高の感動を与えてくれるスポーツの祭典であることを実感している。周囲は、コロナを引き合いにした批判や開会式がおかしいといった批判で騒々しい面もあるが、私は、ただただ単純に、素直にオリンピックのもたらす感動を喜び楽しんでいる。視聴率56.4%。およそ7千万人の国民がみていたことになる。無観客なんのそのではないか。
 ドローンの地球儀に日本の技術力を再認識し、ピクトグラムの動きに目を見張り、長島さんの精神力に涙した開会式。商業主義に陥った五輪との批判がここ数回の五輪開会式で問われていたが、国家の威信をかけてといった大げさな開会式とは異なり、単に会場を広く使うことに力点を置いた感じがした。ロンドン、リオほどには資金投入されてないと感じるものだった。
 バッハ会長の18分間の挨拶は長かったが、開催にたどりついた安堵感と政治的イメージを払拭することに神経を集中し、すべてに感謝の意を表したいという想いが長くさせたのだろう。無観客は寂しいけれど、それを大きな問題と考えていないアスリートたちの気持ちがプレー自体に見ることが出来た。テレビを観ていても無観客にさほどの違和感はない。
 しかし、どんなスポーツにも言えることだが、「劇的シーン」に心が揺さぶられる瞬間はなんとも言いようのない感覚をもらう。手に汗を握るとはよく言うが、その興奮の極致に導くアスリートたちの努力があればこそで、選手の多くが「開催に導いてくれたことに感謝します」と口にするのを聞いて、やはり開催して良かったと実感する。
 アーチェリー、カヌースラローム、ストリートボード・・・普段お眼にかかれない競技に触れることが出来るのもオリンピックならでは。

 
 一方、朝から晩まで五輪に浮かれているという心無い声を報じるメディアの問題を、改めて社会問題として認識する必要があるのではないだろうか。野党の皆さんも重箱の隅をつつく五輪批判に熱心な方と、開会後に突如応援や感謝のツィートをするダブルスタンダード議員が少なくない。事ここに至って、今からでも中止は出来るという発言には驚き以上のものがあり、手のひらを返したように五輪賛美に変心するのも節操が無さすぎる。
 まだ10日近く眠れぬ夜が続く。深夜のハイライト放映に見入ってしまうからだが、我れらが日本選手団の活躍は、勝利の如何にかかわらず、明日への励みにしようとプラス思考100%で観戦するつもりだ。
 コロナとオリンピックを結び付けたくて仕方のない層は、オリンピック後の選挙ばかりが視野に入っているのだろう。このまま、2020オリンピックが成功裏に終わることを願うばかりだ。

 

No.3444 2020オリンピック開幕!

2021.07.23

 今、2020東京オリンピック開会式のライブ放映中である。
華やかに見えるものの無観客の寂しさはぬぐえない。しかし、カメラワークのせいもあるだろうが、客席のイメージが場合によって人が入っているように見えるのは私だけだろうか。
 今日は、明るいうちから五輪に反対するグループが集まり、国立競技場の前でシュプレヒコールをあげ、おそらく今もいるのではないかと思う。
■オリンピック災害おことわり連絡会
■反五輪の会
■オリンピックいらない人たちネットワーク
■アジア女性会議
といった団体によるものだそうだ。
 私は半年前くらいまでは、オリンピックは出来ないかもしれないと思っていた。コロナ禍を思うと世界から人が集まるかどうかというのが、最大のポイントになると考えていたのだ。しかし、「やめろ!」とか「反対!」といった思考になっていたわけではない。さりとて、無観客開催でもやるべきだと考えていたわけでもない。日程ギリギリまで結論は長引くと思っていた。
 しかし、今日現実に、開会式に205の国が参列するという。やはりオリンピックはいいものだ。
 57年前、中学3年の時に行われたオリンピックはいまだに頭に焼き付いたままのシーンがいくつもある。円谷選手、東洋の魔女、体操ニッポンなどなど。今のNACK5スタジアムの原点である大宮サッカー場が五輪の為に造られ、地元の生徒として日本戦ではなかったが実戦を観戦した。人生で2度オリンピックを観ることが出来るのかと、招致合戦に勝利した瞬間は小躍りしたものだ。

 来日してコロナにかかった選手がいると大々的に報道し、安倍前首相が開会式の出席を辞退すると「安倍五輪逃避」「安倍直前欠席は卑怯!}と文字を躍らせるメディアの存在は一体なんなのかと思う。ターゲットを安倍さんや麻生さんに向けるのも慣れてはいるが、五輪に結び付けてのこれでもかの悪口雑言は、落ちるとこまで落ちたメディアの品格として考えるならば日本の恥部かもしれない。
 これだけの国が来日していたとは改めて驚いたし、開会式では明るい雰囲気で楽しそうに行進する選手を見て涙腺がゆるみがちなほどである。皆、マスク着用であるが、雰囲気は決して暗さを与えることはない。

 やめろコール、帰れコール、ブルインに向かって「飛ぶな!」 
 ここに至ってよくもそういう精神で現場での反対運動が出来るとものだと思う。政治を持ち込まないのが五輪憲章だが、アジア女性会議などは共産党の影がのぞく政治団体だ。ジェンダーフリーをテーマにした国際会議と称するものを北九州で開催するなど、その活動は左派思想に覆われた組織と見られている。実際、共産党国会議員が関係していることを思うと、地方の各地で原発反対の街頭アジを行っていることとも無関係ではないだろう。
 宇宙人鳩山氏は「今でも間に合う、やめるべきだ」
 蓮舫議員も同様「やること自体異常だ」
 立民川内議員「天皇が閉会を告げれば終わる」と・・・ナニ!
 この議員は国会質疑でも狂っているのかと感じさせる発言が多い。天皇陛下を持ち出すとはなんたる不敬。自党の五輪反対主義を現実化させたいためかどうか、それとも関係者を愚弄するおふざけ的発言だったのかどうかはわからないが、天皇陛下のお言葉に希望的観測での注文をつけるなどは、それこそ異常ではないか。国会議員としてどうなのか、黙って見過ごすべき発言ではない。

 ともあれ、ここまで来たのだから日本人であれば、日本の為に開会を受け入れ、スポーツの喜びを享受しようではないか。その方が素直で謙虚な自分でいられるような気がする。選手の為にとかそういうことではない、国の誇りの為にもそうありたいと思う。万が一のことがあれば、近隣でほくそ笑む国があるのだから、開幕したからには成功しかない!
 まだ入場行進は続いている。そろそろ日本選手団か。元気に行進してくれることと思う。難病を克服して五輪切符を掴んだ池江選手の笑顔に元気をもらおうか。マスク越しでもしっかり見せてくれることだろう。

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